2011年9月29日木曜日

■「やることがない!」人に

定年後「やることがない」という人に捧げます!



1、隣の垣根を剪定しました

手前が垣根です、何とかヒバですね。剪定後の写真です。
















2、松もバッサリと

玄関前の松も混んでいて・・・ジャングルの様なのでした。
なぜ隣を剪定したのかといえば、母子家庭なのです。働いていて男手がないとなかなか手が回りません。男がいても最近の男はやりません・・・やれません。庭に向かう気力がありません。
・・・という事で、お手伝いしてしまいました。
今や町内は高齢化社会、庭を持っていても高齢者ではどうにもなりません。ここに「やることがない」人に出番があるのですよ!! 本格的な庭師を望むのではありませんが、何でもいいのです。
近所で困っている人がいたら助けてやることです。自分でやれることを・・・それで十分です。


3、人は働いてはじめて生きがい

【丸山敏雄引用】
「人はただ生きているだけでは、何の意味もない。働いてはじめて生きがいがある。働いている時が、本当に生きている時である。
じっとしていなければならぬほど、困ったことはない。仕事のないときほど、つまらぬことはない。職を止めると、間もなく死んでしまう人の多いのは、仕事がなくなると同時に、気が抜けてしまうかたである」
この働きとは、外に出て給料をもらってくるのだけではありません。「働き」とは「生活」のことである
五木寛之さんは「百姓仕事」といっています。
つまり、定年後の働きというのは生活していくために必要なあらゆること、これが百姓仕事なのです。となればいくらでもあるではありませんか。
ただし、自分の事だけ考えていれば・・・ないでしょうね! 世の為、人の為と考えればいくらでもあります。そこにもここにも・・・・。


4、喜びが無常の報酬

【丸山敏雄】
「世に楽しみは多い。好きなものを食べる、美しいものを見る、よい気物を着る・・・いろいろな喜びの中で、どれほど続けるも、如何にひどくても、いよいよ高まり深まっていくのは、働きに伴う喜びである。地味で素朴で尽きぬ喜び、中でも、まことの働きにより、人を助け、人を救い、人の喜びをわがよろこびとする、その喜び、これこそ地上無比の喜びである」



給料=報酬とは何か、真の働きに与えられるのは「喜び」という無常の報酬である。
普通の給料は、喜んで働く人を、養い、歓待する天の恵みである。いや、自然に与えられる割増金であると、感謝して受けるのが本当である。

*丸山敏雄「万人幸福の栞」より。この「万人幸福の栞」は私の人生勉強の中でも最高の書としておすすめしています。ただし丸山敏雄を受け継いでいる、今の「倫理法人会」は方向が違うと判断して、会員はやめています。


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