2011年9月9日金曜日

■3、佐竹候に学ぶ「城は三度」

佐竹義宣候が常陸の二つの城を経て、秋田久保田城が三度目です!



1、秋田の久保田城は三度目

佐竹候が国替えとなって秋田に来たのは1,602年です。今でいう左遷ですから、減封の上、北の秋田に追いやられたのですから、大変な苦難の時期でありました。でもさっそく新しい城づくり、まちづくりにとりかかりました。
久保田城は佐竹義宣侯が住んだ三つ目のお城です。四神相応の思想をとりいれ、旭川を掘り替える大プロジェクト実施のうえ完成したものです。


■東に、長沼、手潟、赤沼などの低湿地が存在した。
■南に、内濠を設け、前からの川が流れていた。
■西に、羽州街道を築造、北は土崎湊、
     南は和田方向へ通じさせた。
■北に、泉山が存在し、後には菩提 寺(天徳寺)を建立した。

2、常陸の本城・常陸太田城

常陸時代の佐竹候は常陸太田城に470年間住みました。佐竹の本城というのだそうです。
丘陵の末端にある山城で、三方を急斜面で囲まれた自然の要塞です。






















3、次は、水戸城

佐竹義宣侯が攻め落として手に入れた城が水戸城です。秋田に来る前12年間絶頂期の時に過ごした城です。こののち水戸のご老公が住んだお城ですね。
・領国の中央にあること
・丘陵の丘の上にある平山城である
・周囲に広い平野を擁している城下町の経営ができる。
・那珂川が流れており水運ができる























4、三度目のお城・久保田城

秋田市・久保田の城、まちづくりは水戸城の延長線上にありました。
・領国の中心(重心)にあること
・丘陵の丘の上にある平山城であること
・周囲に広い平野を擁している(擁することができる)城下の経営ができること
・旭川を掘り替えすることで四神相応のまちづくりとともに、水運ができること。
















教訓
今も「家は三度建てなければ満足できない」ともいわれます。
①今住んでいる家
②何らかの理由で、立替する・・・理想に燃えて・・・高気密高暖房
  (しかし、業者にのせられて作ってはみてみたものの・・・)
③やはり、その土地に根差した家が最高だと理解したら(ロハス)
  昔の家を今風に・・・秋田杉、庭付き、平屋 に気づくことでしょう!















































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