2011年9月17日土曜日

■岡本太郎が変えた縄文観

東北縄文文化研究会も主催しています。縄文文化が脚光を浴びていますので、基本のシリーズをのせます。まずは岡本太郎と縄文について




1、岡本太郎と縄文

ご存じ岡本太郎ですが、これほどとは思っていませんね! 縄文観を切りひらいた方なのです!

【引用】

日本文化の源流が縄文文化ですが、つい50〜60年前までは、さほどそうは思われていませんでした。縄文土器を見て、ただの当時の生活が判る『物品』としか考えられていなかったわけです。
日本美術史にも縄文土器は入っていませんでした。
ところが、この流れを変えたのが『岡本太郎さん』です。
岡本太郎さんは、東京国立博物館にあった縄文火焔土器を見て、
「なんだこれわっ!」って叫んだそうです。
「こんなパワーはいままでない!これ以外は美術品ではないっ!」とまで、言わせたのが火焔土器です。
このことを美術雑誌に発表し、フランスの日本展で火焔土器を紹介し、縄文土器と土偶を浮世絵と並ぶ美術品として世界へ知らしめました。




2、縄文土器(火炎土器)


正面から光をあて(またはフラッシュをあてて)、『形が判るように』と云った事だけを目的にした写真が載っていました。
それを、「なんてことをするんだっ!」って怒った岡本太郎さんは、ライトを横や上、斜めから当て、陰影を強くした写真を撮影し、『写真集』を出したんです。
それ以来、縄文火焔土器は、『かっこいい』『美しい』『強い』のイメージが人々にハッキリ判ったわけです。


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3、これぞ縄文パワー

これ以降、社会の教科書には、陰影をハッキリしたアート的な写真が使われ始め、縄文土器や土偶が、ただの『遺物』から『美術品』へ一気に格上げされたわけです。
なんと『美術科』の教科書にも、土器や土偶が載り始めたんです。
日本国の教育カリキュラムを書き換えてしまったわけです。
この写真を、上の写真と比べてみて下さい。

あきらかにかっこよさが違うでしょ。
めっちゃくちゃパワーを感じるでしょ。
そう、これが縄文パワーなんです。

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4、岡本太郎の功績

【引用】
①これまでは縄文文化というと、弥生時代以降の日本文化とは基本的につながりがなく、今日の  日本人にとって直接つながる文化ではないという見方が、日本の歴史を見直すうえで結構強かっ た。

②以前から研究者の間で縄文時代の見直しは少しづつ行われてはいました。

③直感的な面では、岡本太郎さんが『縄文こそ芸術だ』として、縄文土器を芸術の立場から取り上げ、民族の生命力として、高い評価を与えました。それまでは縄文時代に製作された縄文土器などは美術史の中できちんと位置づけされていなかった面があったのです」

「縄文時代に対する日本人のとらえ方は、戦後大きく変わりました」

岡本太郎とともに、「三内丸山遺跡」の発掘調査によって決定的な転換が生じたのです。






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