1、秋田のお城(久保田城)
今日9月3日から明日まで、秋田市の中心市街地で活性化のためのお祭りです。ここ千秋公園(久保田城跡)二の丸でもジャズやフリーマーケット等があります。最近、お城が脚光を浴びつつあります。うれしいです!!
さて、天下分け目の関ヶ原の戦いでの行動から、秋田へ国替えとなった佐竹義宣侯(それまでは水戸城)。・・・行動についてはいろいろ理由があったことでしょう!!
1603年秋田に来て早速行ったのが城づくり、まちづくりでした。
佐竹義宣侯は名君でした、城づくりも「四神相応」という中国思想を取り入れています。
2、四神相応のまちづくり
・大地に流れる気は、運命を左右するほど人間に大きな影響を与える力がある。
・この大地から生まれた気の流れを「龍脈」、
その龍脈の終結するところが「龍穴」と呼ぶ。
・良い気はこの「龍脈」に沿って流れ「龍穴」に集まる。
・そのように良い気が集まった土地を「四神
相応」の地という。
・中国の皇帝はもちろん、日本の支配者たちも都市づくりに利用した。
3、秋田の四神相応とは
そのまちづくりは中国思想からきた「四神相応」によっているいわれます。東北では唯一(弘前城もという話もありますが)
・秋田平野の丘陵地や河川を巧みに利用した平山城で神明山に築いた。
・南北に長い城を築き、旭川を人工的に南北に掘り替え、内町、外町を軸線によって町割りした。
■東に、長沼、手潟、赤沼などの低湿
地が存在した。
■南に、内濠を設け、前からの川が流
れていた。
■西に、羽州街道を築造、北は土崎
湊、南は和田方向へ通じさせた。
■北に、泉山が存在し、後には菩提
寺(天徳寺)を建立した。
・東北で唯一、最大の文化遺産
4、最大の文化遺産
秋田市中心部の都市計画として重要なものは
①1603年からのの佐竹義宣侯の城づくり、まちづくり
佐竹候が残した最大の文化遺産として残っている
②1954年からの官公庁一団地(山王地区)とそれを結ぶ竿灯通り(山王大通り)
③2007年秋田中央道路開通
秋田中央道路は、我々が20年前に県の都市計画課でいたころ、秋田市とともに計画策定に係わったものです。中央道路=東西地下道路が完成し、現在中央街区の再開発が工事中となっています。佐竹候の英邁さを引き継いで、是非とも再開発においても文化遺産と称えられるようになってほしいものです。
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