2011年5月21日土曜日

■昼根山について

寺内の史跡マップを作成している中で「昼根山」というとぼけた名前がおもしろい!!





1、秋田市寺内「昼寝山」

秋田市寺内の史跡探訪の第一歩がこの「昼寝山」
勅使・大野東人が733年にこの地に派遣され、長旅の疲れから仮眠したことから名前がついた。
と言われています・・・でもねー!! たかが勅使・・・。
なにしろ、毎年の5月8日の古四王神社祭典においては、ここで剣舞を行ってから、ここを起点として神輿が出発、地区内を巡行するのです。たかが勅使程度が昼寝したくらいでここを選ぶのでしょうか!!


























2、近くに「蛭根」の地名

近くに「蛭根」の地名があります。「昼寝」は「蛭根」か「蒜根」かとも論議されたようです。
蛭がいたからなんて言うのはもっと信じられません。
蒜が「葷酒山門に入らず」ですから、こんな臭いものはもっと論外です。
「蛭根」を漢字で芋を意味を探ろうとするから分からなくなります。方向が違ってきます!!




3、「ヒルネ」とは

「ホツマ」で調べてみました。「ヒル」とは大変なものです・・・・。
そして、縄文文化研究会の鹿角の歴史に通じているのです。大日堂の「オオヒルメムチ」と同じなのです。
天照大神が生まれた時の名前が「ウヒルキ」なのです。「
「ヒ」とは日の輪
「ル」とは日の内霊なのです。





4、それでは地名「神屋敷」とは

昼寝山がある地域の名前が「寺内神屋敷」です。神屋敷というのは全国どこにでもあるのだそうですが、「ヒルネ」「神屋敷」とは何か興味が湧いてきました、ムクムクと燃え上がってきました!!
地元の言い伝えに「神屋敷というのは旧盆に御燈明が舞い降りてきて村人はこれを拝んだ」とあります。
そうすれば「平田篤胤仙境異聞」と同じことになります。
私のブログ「務本塾・巡堂講座」から引用



秋田市出身の江戸の国学者・平田篤胤による前世を記憶する子供の調査報告
「仙境異聞」である。
  今から一八〇年前の江戸、幼い頃から不思議な能力を持っていた寅吉は、あるとき奇妙な老人に山へと連れ去られ、天狗の修業をするよう命じられた。
 数年後、再び江戸に現れた寅吉は天狗小僧の異名を取って一大センセーションを巻き起こす。その噂を耳にした異端の国学者平田篤胤(本居宣長の弟子)はかねてから興味を持っていた幽界(神々の住む世界)の事情を窺うために寅吉を自宅に住まわせ、長期間にわたる詳細なインタビューを行った。
 寅吉の語る異界の模様を余すところなく伝える奇書「仙境異聞」である。

  インターネット検索「仙境異聞」に「七生舞の記」以外の現代語訳が掲載されております。どうぞそちらをお読み下さい。

  本書は「七生舞の記」の現代語訳です。別冊太陽の「カリスマ平田篤胤」から原書にないイラストを引用して分かりやすいように努めました。

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5、昼寝山遺蹟でもあります

よく調べると、昼寝山遺跡で古墳の場所です。昼寝山のマークの場所は中腹で、広場を成しています。ここでお祭りです。
頂上から南側に少し下がったところに感恩講児童保育園があります。昔建設前には、直径7m高さ1.5m程度の土盛りが東西に三基並んでいたようです。古墳・神屋敷・ヒルですよ。

1 件のコメント:

satoyoshi さんのコメント...

 初めてコメントさせていただきます。
今から36年前に寺内蛭根で生まれた者です。地元の歴史を知る上で大変興味深くそして感慨深くなりながら拝見させていただいてます。
 そこで昼根山の由来で、うろ覚えですが小学校の時の郷土学習のようなもので、その勅使・大野東人が山で昼根をしていたところ、夢に神が現れ、「この地に城を築け」と申され、それに従い築いたのが高清水にある秋田城だと学んだ記憶があり、それだとわざわざ昼根山と名付け、そこで神事を行なうのも合点がいくと思うのですが、いかがでしょうか?
 幼い頃、住所を言う時「蛭根」と言うのが気恥ずかしかったですが、その由来を聞くと「まあ仕方ないか」と思ったものです(笑)