1、「人事を尽くして天命を待つ」
刻字の脚も大丈夫と
思ったのですが、
タテとヨコのバランスが
悪かったのですね!
まだ贈リ先が決まらず
自宅で待ったていたが
ちょっと押したら
倒れてしまいました!
「天命」はまだ待て!
足下を固めてから
ということでした。
2、脚を補強しています
前作を補強していますが どうでしょうか!!・・・まだ猿知恵かもしれません。
3、「天命」解釈・・・(1)
これが普通の解釈ですね。
できる限りの努力をしたのであれば、あとは焦あせることなく、結果は天に任せて待つ、ということ。 人事じんじ=人の力でできる事。出来る限りの努力とは、気が付いたらすぐ実行し、徹底的にやってやってやり抜くことである。 初学知要しょがくちよう |
何ごとも、やらなければ出来ないものです。精一杯やったのであればどんな結果が出ようとも、それは満足できるのではないでしょうか。物事は、結果がすべてではありません。結果が出るまでの「過程かてい」がすべてだと思うのです。それさえしっかりやっていれば、自ずと天が道を教えてくれますから・・ |
4、「天命」解釈・・・(2)
二宮尊徳翁は「天命に安んじる」ことを述べています(夜話・・第61夜)
富貴安逸を好み、貧賤勤労を嫌がるのは凡人のつねだな。たとえば婿や嫁が養家にいることは、夏に暑い家にいたり冬に寒い原っぱに立っているような気分になり、また実家に帰ったときは、夏は氷室に入ったように、冬は暖かい家にいるような気持になるものだ。このとき自分の天命は婿、嫁であって、天命に安んじべき理を悟り、養家はわが家と心を決め、不動尊のように猛火が背中を焼こうとも動くものかと決心し、養家のために心力を尽くせば、実家に帰りたくてもその暇もないだろうし、このように励んでいれば、心力、勤労も少しも苦にならんものだ。これはただ我を去ったことと、一心の覚悟をきめ徹底したことにあるんだな。
農夫が熱さ寒さをものともせず田畑を耕し、風雨の中、山野で働きまくるのも、車夫が車を押し、米つきが米を搗くのも、他人が親切心でみれば、その労苦はいいようもなく気の毒の至りだけれども、本人の身になれば、かねて心に決して労働に安んじているのだから、何の苦には感じないのだよ。
武士が戦場の山野を駆け、主君の馬前に命を捨てるのも、いったん覚悟をきめればこそできることなんだぞ。だから人は天命をわきまえ、天命に安んじて、我を去り、一心決定して心動かさないことが大事なんだぞ。
(重いお言葉ですね!!)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
0 件のコメント:
コメントを投稿