2011年5月31日火曜日

■友の葬式で生命を考える

お葬式に行ってきました。一般的にはまだ若いのですが、生命について考えました。



1、お葬式

友人(先輩)のHさんが72歳で亡くなりました。
まだ若いですね・・・。
さっきまで元気だったのに・・・急に病気で亡くなった!!
かわいそうといいましょうか! さすがHさん大往生!!と言ってもいいのでしょうか。


2、生命とは何か

丸山敏雄さの「死は生なり」は、生命についての著書としては最高のものです。(仏教者及びません。倫理法人会ももうだめですが)

生きていることは、形があることです。成長することです、変化することです。成長が止まれば、変化についていけなければ生きているとはいえませんね!!

「それで、死といっても、一般普通に思われているように、死んでなくなるのではない。仮になくなったように見えるだけである。もちろん肉体はもとの形ではなくなる。土にかえり、水のもどり、いろいろな元素に還元されるけれども、形がしばりから解けて、もとあった如く帰ったのである。たとえば会議をしていたが、時間がきたために、さよならして別れたのである。なくなったように見えるだけである。


3、生きるとは「イキ」すること

「宇宙の大生命・・・これが我々の生命の元である。それが、人間の生まれ出た根源というだけではない。現に今この大生命と連絡、交通している。一如の相で生きている。その証拠に、生きているは「イキ」をしている、イキはイキ、キしていることである。行っては又来ている。往復している。放射吸引は一刻も休むときがない。




4、生死は駅の改札口

「死」というのは、顕幽両界の境、切れ目をいうのであり、
「生」うまれるというのは、顕幽両界のつなぎめをいうので、
これは駅の改札口のようなもので、出入りの相違、方向の違いがあるだけで、同じことである。
同じことであるから、同じ感情で、これに向かうのが本当である。
生まれることが喜びなら、死ぬことがまた喜びでなければならぬ。
朝起きることが喜びである如く、夜寝るのはうれしい。



と、心では理解できても・・人間ですもの、そうは行きませんね!

これを克服するのが「死の超克」「死生の脱却」で、昔の聖人は難行を積んで、見事に突破したのが「さとり」「解脱」「神人一致」なのである。
・・・・・・・・・できないでしょうね!


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