あいだみつをさんの「おかげさん」作品完成しました!
1、完成
あいだみつをさんの「おかげさん」
材質:秋田杉 輪切り
彫り:船底彫り
寸法:570×740×30mm
秋田杉の輪切り・・・薄いものです。何かに活かそうととっておいたものです。薄いから裏にベニヤで補強しています、暴れて割れないように真ん中にノコで割っております。
2、おかげさん
【引用:太田龍氏から】
「一人の人間が暮らしていくには実に、何百、何千、何万、何千万、何億何兆とも知れない無数の要因と無数の現象、無数の事物・事象、そういうもののおかげで今ここに私たちは生きている、生かされている。それで「おかげさまで」というわけです。しばらく前まで、こんなことは日本人の常識であって、とりたて説明を要しない言葉でした。日本人は年柄年中「おかげさまで」「おかげさまで」と頭を下げていた。だんだん今に近づくにつれて、そういう言葉は死語になってしまった。」
3、仏教の誤解
「日本人は仏教をインドから中国の漢訳仏典を通じて取り入れたけれども断然別のものに変えてしまったのです。
変えてしまった証拠は何かと言えば、日本人は仏教の本質を、山川草木鳥獣虫魚皆仏になる。成仏する、そういうふうに要約したのです。そんなことをやった国民はインドにも中国にも東南アジアにも存在しないのです。
さらに、日本人は「おかげさまで」という言葉を発明したのみならず、最近まで、年柄年中、日本人は「おかげさまで、おかげさまで」とごく普通に言っていました。「おかげさまで」とは何ですかと言えば、仏教の基本経典の一つである「華厳経」からです」
4、お坊さんより庶民の方が
「仏教の本質がこうですから、ついしばらく前までは、普通の日本人の方が、えらいお坊様より仏教を屁理屈ではなく、しごく当たり前に見に備わった品性として、はるかに深く理解していたのではないでしょうか。年柄年中「おかげさまで」と言って頭下げるのですよ。頭下げるといっても誰に頭下げるのでしょうか、その辺のお坊さんに対して頭下げることではないですね。何やら着飾った日本の教団の最高の僧職者に向けて頭下げるわけでもないですよ。といって何やら小難しい高邁な仏教の講話に頭下げるわけでもないですよ。
宇宙のすべてを形作っている万物万象、そういうもののおかげで私たちは生かされているという、そういうふうな一般庶民の、本来の深い仏教理解の上にそれは成り立っていると言えるのではないでしょうか。それを私たちが取り戻すことが喫緊の課題だと思います」
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