1、看板「越前谷人形工房」
本来は上に掲げるものですが、文化祭の折にさりげなく玄関に置いたものです。
ケヤキ製:2,200×40×25mm
大きなケヤキにしては薄い作品ですが、古い板で老舗の看板としてはいい色具合です。
2、製作途中の作品
越前谷さんは人形屋さんから工房とすることになりました。
まだ色が入っていません。
3、越前谷人形屋さん
秋田市土崎の曳山祭りの人形は全部越前谷人形屋さん(これまで)が作っています。
越前谷さんは4代目だそうです、100年くらいですか。
4、曳山祭りは400年
(WIKIより)
1602年(慶長7年)、佐竹氏が湊城入部[13]。その2年後、久保田城に移転[13]。この際、武士官僚・寺社、住民等も土崎から久保田城下へ移転し、土崎の人口はいったん減少し、経済活動をする町人が残る[13]。
北前船などの西回り航路の開拓で、貿易港として復興したことをきっかけに、港の鎮守神を作ろうと、当時、久保田藩の御用商人として土崎の地に来ていた川口惣治郎の[要出典]川口家の氏神の神明堂を湊城跡地に土崎神明社として1620年(元和6年)に建造した[14]。
この写真は青森のねぶたです。青森の場合は田村麻呂と大嶽丸が出てきます。
秋田土崎の曳山人形は、人形師越前谷さんのお話では、田村麻呂信仰とは特に関係がないようだという事です。しかしながら、越前谷さんは約100年の歴史であり、その前別の人形師さんが受け継いで300年もの歴史があるのです。
私の推測ですが、青森・津軽のねぶたと同じく田村麻呂伝説の一環として、田村麻呂と大嶽丸を祭ったものだと信じています。
0 件のコメント:
コメントを投稿