1、水と氷
白隠禅師の座禅和讃には
衆生本来仏なり 水と氷の如くにて 水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし |
水と氷の関係は果てしない真理を含んでいるようです。
でも、坐禅和讃は何百回も読んでいますが、心で納得はしていません。ところが・・・
2、二宮尊徳翁は
書物は氷だよ・・・そのこころは。
「まこと」の大道というのは、例えば水のようなものだ。世の中をよく潤して、滞らせないようにしてくれる。それほど尊い大道も、字に書いて本にしてしまうと、世を潤す力はなくなり、世の役にたたなくなってしまうのさ。まるで水が凍ってしまったようなもんだな。氷は元は水であることには違いがないんだが、少しも潤いがなく水の用をなさないんだよ。
3、熱い思いで溶かす
さて氷となった本(教科書)を余のために役立つようにするには、読む人の熱い思いで、その氷を溶かし、元の水にかえして応用しなければ、まるで無益なものだよ。
氷をもとかす熱い気持ちが胸になく、氷のままで使って水の役割を果たすと考えるのは愚の骨頂さ。
世の中に学者がいるというのに、少しも世の役に立たないのは、このためだ。よくよく考えてみることだ。
4、タテ軸ヨコ軸
経文(教科書)とか経書といっても、その「経」というのはもともと機織りの縦糸のことなんだよ。縦糸ばかりでは布の用にはならない。横に実行することを織り込んではじめて用をなすんだよ。
ただタテ糸(軸)の理屈ばかりでは布の役には立たないことぐらい言わなくてもわかるだろう。
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