1,縄文時代の文化曲線
【池田満さんの「ホツマ縄文日本のたから」より】
初代クニトコタチからアマテルカミ(天照大御神)までの、文化曲線(池田氏のイメージ)は最も高い時期であった。その後、神武天皇の頃から下がって、外国との交流が盛んになってから下がりっぱなしである。
2,建国の頃
建国の初めにあっては、栗などの栽培を主としていました。木の実の多く採れる樹木を栽培し、さかなや獣を捕ることで人々が生活していました。そこで、多くの木の実がとれる記の品種を向上させ、これを人々に教えてまわるのがひとつの文化伝播です。また、穴居に人々が生活していたのを、住居をつくり、生活向上を計ったことが、もうひとつの改革でした。
3,稲作の普及
次の大きな変化は、四代目アマカミのウビチニ・スビチニの時代から起こります。
稲作が一般に普及し始めたのです(弥生からではありませんよ!)。稲作と共に結婚の制度も一般に普及しました。
4,新田開発のイザナギ・イザナミ
七代目アマカミのイザナギ・イザナミは、遂行稲作の新田開発を盛んにして国を再建させ、同時に日本語の整理統一を行います。八代目のアマテルカミ(天照大御神)は、アマカミを補佐する臣の役目を明確に決め、制度を整理しました。また稲の新品種の普及を行い、暦の再編をし、三種の神器が作られました。
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