2010年11月5日金曜日

■二宮金治郎はなぜ薪を背負っているか



二宮尊徳が脚光を浴びてきました。そんなとき国立博物館の東洋館の庭で見つけた、尊徳の少年時代の名前、二宮金治郎はなぜ薪を背負っているのでしょうか。

1、二宮金治郎像

二宮金次郎像は、東京23区の小学校は戦後、建替えられた校舎が多いのに100校以上で残っている。戦前に創立した歴史の古い小学校にはほとんどあると思っていいだろう。僕が通っていた小学校も古かったので、二宮金次郎像が校庭の端にあった。(猪瀬直樹)


このイメージは「やりたいことも我慢して、勤勉実直、質素倹約」ですね。しかしながら実像とはあまりにもかけはなれているのです。

2、二宮尊徳は大男



二宮尊徳は、歴史上まれにみる「再建の神様」であった。 幕末のころ、6百余りの藩や郡村の財政危機を立て直し、大飢饉から多くの人々を救い、一農民でありながら、ついには幕臣となって活躍した。身長183センチ、体重90キロ、いかつい顔、まゆ太く胸厚く、見るからにエネルギッシュな風貌の持ち主であった。

3、金治郎は「なぜ薪を背負ったか」

「訳注 二宮先生語録(上)」より
私は幼い時から実行につとめてきた。なぜなら、毎日行わねばならぬことがたくさんあったからだ。水も汲まねばならぬ。庭も掃かねばならぬ。その他行わねばならぬことがどれくらいあったろうか。
孔子は「行って余力あれば即ち以て文を学ぶ」と言った。私はもとより学問が好きだったが、少年の時孤児となって親類の家に寄食し、昼夜ひどく使われて、少しも余力というものがなかった。それでも、昼の弁当を使うとき、人は湯を沸かしてお茶を入れたが、私は冷や飯に水を飲んでその暇に大学を読んだ。あるときは柴かりの道で読誦し、あるときは耕作の暇々に読み、あるときは人が寝静まってからそっと見て、そうしてようやく四書だけようやく一通り習ったのである。


4、「行いて余力あれば分を学ぶ」」



論語 学而編
「行ないて余力あれば以て文を学ばん」


四書五経を勉強して、いろいろ考えたすえ意味がのわかったことは、一字一句でも一生これを実行してきて、なお行い尽くせないでいる。今の儒者は千万巻をあさり読んでいるが、どうやってそれを実行するつもりだろう。行なわなければ読まないのと同じだ。まことに実行がすたれていること久しいものである。


耳が痛いですね。ツン読でいっぱい本がありますが、たどり着いた本で実行したいものです。


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