2009年2月5日木曜日

■菅江真澄と寺内児桜図

秋田さきがけ新報に掲載された江戸時代の紀行家・菅江真澄の絵図です。

1、菅江真澄の寺内児桜図絵

秋田さきがけ 「真澄の風景 今昔」
冬編 3
勝地臨ごう秋田郡 寺内児桜












































図絵は現在の秋田市寺内児桜や高野周辺の高けいのようだ。説明書きには、手前の川が「臭水川」(草生津川)、右端の集落が「高野村」とある。松の生い茂っている山が国指定史跡・秋田城跡などのある高清水丘陵だ。

橋が現在の高野橋、橋を渡ってすぐの三差路を右に折れると高野村、まっすぐ進むと松林を抜ける山越えの道で「植野路」(最近まで六ベえの坂)とある。
左側のかやぶき屋根の家が「山根の北川庄右衛門の家」。



2、絵図の拡大図



松並木の山道がわがこざくらの丘へ

クリックで拡大できます。児桜の山の山桜も見えます。






















3、グーグルアースで現在の写真
























右側が高野町内
真ん中が山越えの道で児桜町内

左側に北川家
わたしの「こざくらの丘」は中央部緑の左側になります。



4、比較してみると

・通常は高野が分かりやすい地域ですが、丘陵部が中心であるから「寺内児桜」で掲載されたのでしょう。

・新聞の写真では、丘陵部のほとんどが杉林に見えますが、杉はこちら側だけ、特に北側家の斜面だけです。その他はほとんどが雑木林です。児桜というくらいですから、自然の桜・山桜が大変に多い地域です。

・絵図で描かれている松林、最近まで素晴らしい街路樹のように、また地域でも巨木がたくさんありましたが、松枯れでほとんど消え去ろうとしています。残念です。(松の緑も千年持ちませんでした)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

0 件のコメント: