秋田さきがけ新報に掲載された江戸時代の紀行家・菅江真澄の絵図です。
1、菅江真澄の寺内児桜図絵
秋田さきがけ 「真澄の風景 今昔」
冬編 3
勝地臨ごう秋田郡 寺内児桜
橋が現在の高野橋、橋を渡ってすぐの三差路を右に折れると高野村、まっすぐ進むと松林を抜ける山越えの道で「植野路」(最近まで六ベえの坂)とある。
左側のかやぶき屋根の家が「山根の北川庄右衛門の家」。
2、絵図の拡大図
松並木の山道がわがこざくらの丘へ
クリックで拡大できます。児桜の山の山桜も見えます。
3、グーグルアースで現在の写真
右側が高野町内
真ん中が山越えの道で児桜町内
左側に北川家
わたしの「こざくらの丘」は中央部緑の左側になります。
4、比較してみると
・通常は高野が分かりやすい地域ですが、丘陵部が中心であるから「寺内児桜」で掲載されたのでしょう。
・新聞の写真では、丘陵部のほとんどが杉林に見えますが、杉はこちら側だけ、特に北側家の斜面だけです。その他はほとんどが雑木林です。児桜というくらいですから、自然の桜・山桜が大変に多い地域です。
・絵図で描かれている松林、最近まで素晴らしい街路樹のように、また地域でも巨木がたくさんありましたが、松枯れでほとんど消え去ろうとしています。残念です。(松の緑も千年持ちませんでした)
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