2011年2月22日火曜日

■小沢問題は「アテルイと坂上田村麻呂」問題

平安時代に、我が東北の雄・アテルイと政府が派遣した坂上田村麻呂の戦いが今も続いているというお話!

1、アテルイと坂上田村麻呂の戦いとは
















【時代的には】

■第三期 坂上田村麻呂時代
西 暦
和 暦
蝦夷と大和の出来事
備  考
733
天平5
▲出羽秋田に秋田城移転
780
宝亀3
▽蝦夷反乱(伊治哲麻呂)
784
延暦3
・桓武天皇が平安京遷都
788
延暦7
▲多賀城に5万人派遣
789
延暦8
▽アテルイが登場
791
延暦10
▲坂上田村麻呂が副使として
登場
797
延暦16
▲坂上田村麻呂が征夷大将軍として登場
802
延暦21
▲アテルイ降参。入京して打ち首にされる。
概 要
・第二期で制圧された蝦夷が反抗開始。
・桓武天皇の平安京遷都時代が最悪の時代であった。
・坂上田村麻呂が陸奥に征夷代将軍として遠征。
田村麻呂とアテルイの10年にわたる攻防。
・田村麻呂が勝利し、アテルイを京都に、結局打ち首に。






















2、なぜ戦ったのか

・縄文から続く東北人を蝦夷(エミシ)といって政府軍が征伐にやってきた。なぜか・・・温暖な気候となった東北に南から多くの人々を済ませるためもあるが、精神性の高い縄文文化を鬼畜エミシとして、物質文化が侵略したことです。下の図を参照ください。アメリカのインデアンやインカ帝国が抹殺されたようなことです。

武力で坂上田村麻呂が、それだけではだめで、天台宗が駆け巡り田村麻呂伝説をつくり、歌枕で北の聖地とおだてあげた・・・。









































3、現在の小沢問題とは
















アテルイと坂上田村麻呂の関係は、近代のおいてもあったようですし(原敬と山形有朋)、
現在の構図でいえば小沢(アテルイ)と政府から派遣された田村麻呂(東京地検特捜部)だそうです!!

4、何と戦っているのか
律令制度と言うのが701年から始まっています。天皇の名のもとに昔は貴族である上級官僚が国を支配していました。今も上級官僚がこの国を支配してると言われています。今の政治を見ていますと信じたくなりますね!!
今も、国民から選ばれた政治家が行なう政治主導ではなく、まだ古代から続く官僚支配の制度、つまり律令制度が続いているから、この構造を打破したいというのが小沢さんの考えだようです。
武力以外では、天台宗や歌枕の代わりに、マスコミが、新聞が、テレビがその役割を十二分に果たしてきました、国民は大変によく洗脳されています。


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