古四王神社も男鹿の真山神社も越の国の影響下にあったことを。
1,秋田市 古四王神社
古四王神社本殿への階段です。この左右と田村神社の周囲を草刈しました!
古四王神社を含む秋田は「越の国」の影響範囲であったらしいという話。
2,祭神 大彦命
社伝では、崇神天皇の時代、四道将軍大彦命が蝦夷を平定するため北陸道に派遣された折、北門の鎮護のために武甕槌神を齶田浦神(「あぎたのうらのかみ」は日本書紀に記載されている。一説では蝦夷が信仰した地主神または海洋神と推定し、「齶田」を「秋田」の古名とする。)として祀り、継いで斉明天皇の時代、阿倍比羅夫が秋田地方に来た折、自らの祖である大彦命を合祀し、越王神社(古四王神社)として創建したとされている。
3,大彦命は四道将軍
四道将軍の世代間関係 | ||||||||||||||||||||
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孝元天皇----欝色謎命
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大彦命
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御間城姫----崇神天皇
↓
垂仁天皇----日葉酢媛命
↓
景行天皇
↓
日本武尊 (景行53年の景行天皇の侍従:磐鹿六雁)(=大彦命の孫
4,男鹿 真山神社
12代景行天皇の時代、武内宿禰が男鹿を視察の折、使命達成・国土安泰・武運長久を祈願して主祭神を祀る。
平安時代以降天台僧徒によって比叡山延暦寺守護神の赤神明神と習合、真山別当光飯寺が開かれる。南北朝時代には真言宗に転じ東北豪族の庇護のもと修験の霊場として栄えた。
江戸時代には藩主佐竹侯の祈願所となり数々の寄進崇敬があった。
明治以降は神仏分離令により元の神域に復し県社(旧県社)に列格、昭和34年に神社所有の天然杉で現社殿が建築された。
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