2010年3月23日火曜日

■「彼岸とは何か」考える

彼岸のお墓参りをしてきました。お寺から彼岸についてのパンフレットもいただきましたが何か腑に落ちません。

1、お墓参り

お墓は二人で

魔女さまはお寺の法要











2、しっかり掃除もしました

4点セットでお掃除













3、お寺からのパンフレットの「彼岸」
・お寺さんから、曹洞宗本部で作ったパンフレットをいただきましたが、「彼岸とはなにか」はよくわかりませんでした。「ボタ餅のレシピ」が大きなスペースを占めていました。

・そこでWIKIで調べましたWIKIより
彼岸(ひがん)とは、煩悩を脱した悟りの境地のことで、煩悩や迷いに満ちたこの世をこちら側の岸「此岸」(しがん)と言うのに対して、向う側の岸「彼岸」という。

彼岸会法要は日本オリジナルであり、現在では彼岸の仏事は浄土思想に結びつけて説明される場合が多くみられる。浄土思想で信じられている極楽浄土阿弥陀如来が治める浄土の一種)は西方の遙か彼方にあると考えられている(西方浄土ともいう)。春分と秋分は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いをはせたのが彼岸の始まりである。もとはシルクロードを経て伝わった、生を終えた後の世界を願う考え方に基づいている。心に極楽浄土を思い描き浄土に生まれ変われることを願ったもの(念仏)と理解されているようだ。
しかし後述のように、天皇の詔として始められた行事であったが、いつの時代も人として、生を終えた後の世界への関心の高いことは同じであり、いつの間にか生を終えていった祖先を供養する行事として定着するに至った。
■もともとは仏教の行事ではなかったものだから、説明が中途半端なのですね。


4、現代の「彼岸」・・・「あちら側」「こちら側」
大西宏氏のブログから
これまでは、ある意味で情報空間をレールの敷かれた列車に乗って旅する、どの列車に乗るかという選択があり、列車に乗って車窓に流れる情報の景色を眺めていたという時代でした。
(テレビ、新聞などの報道・・・あちら側から一方的に流れてくるもの)
しかし、インターネット社会では、情報空間を、自ら車を運転してドライブする旅、あるいは自ら飛行機を操縦して旅をするのに近く、どの経路を辿るか、どこに立ち寄るかは自ら決めなければならない世界です。しかも、ブログやSNS、またツイッターなどが生まれてきたことで、情報の発信を行えば行うほど、人も情報も集まってくるということになってくると、ある意味で望遠鏡や双眼鏡だけで航路していたのが、電波の反射で状況を知るレーダーも手に入れたということかもしれません。
(インターネットは自分から求めなければならないこと)
■「こちら側」だけに閉じこもっていては情報が届かないのです。(大手マスコミが倒産する時代です)
 「あちら側(彼岸)」の情報を、こちら側にいて、自ら行動しなければ入らないのですね。
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