2011年7月17日日曜日

■暁に天の声を聞く!

朝方の夢うつつに聞こえた天の声!!




1、天の声とは

天の声といっても特別なものではないのです! 深山や谷で聴こえる「シーーーンん」という音のことです。昔は田舎でもよく聞こえていました。今秋田市の自宅では条件のいい時にたまに聞こえることがあります。今朝は突然「シーーン」と聴こえてきました。強く早い音でした。














2、哲人 中村天風のお話

哲人中村天風師は「盛大なる人生」でこう言っています

天の声
[天の声とは声なき声よ(absolute stillness)]
と英語で言ってくれました。
これは日本語で言うと、「絶対のしじま」ってことね。なーんにも聞こえない、それが天の声だ。
「考えてごらん。お前は文明の民族で、新しい教育を受けている人間だから知っていることだろうが、お互いが今こうやって立っているこの地面はな、西洋の時で言うと、一秒に二十マイルの速力でバーッと回っている。音でも光でも波長が非常に長いのと短いのは感覚しない。だから、何にも聞こえないだろ。その聞こえないなかに音があるんだよ。それが天の声だ。天がその音をみんなもっていっちゃってるから聞こえないんだ」
 この人は非常な科学者だよ、そういう言葉を聞いてみるとね。
 「ああ、そうか!その絶対に音のない世界に心を入れる、それがすでに天の声か。分りました」




3、仏は常にいませども・・

ここで思い出したのは、梁塵秘抄のこの歌です

仏は常にいませども、現ならぬぞあわれなる、人の音せぬ暁に、ほのかに夢に見えたもう。



大意……
仏様は私たちのそばにいつもいらっしゃるけれど、現実の世界ではこの眼で見ることは出来ない。
けれど、まだ人が寝静まっている暁の夢の中に、ちらりとお姿をお見せになることがあるよ。

 口ずさんでいると、何となく心が澄んできて、ぽっと明かりがともるような感じがしないでしょうか。

 すぐ手近にありそうなのに、見ることも触ることもできないもの、でも、それは明け方の夢うつつの中でならかいま見ることが出来る。そして、その見えるとも見えないとも言えないものを一心に追い求める心が、ひどく切なくて、慕わしい気がします。


4、天の声が聞こえることはうれしい


夢うつつに見ることはできませんでしたが、聞こえました。天も仏も同じことですね!
坐禅をしていることで「心が洗われ」ていけばもっとよくきこえるのでしょうか!
楽しみです!






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