2011年11月6日日曜日

■田村麻呂伝説と寺内の史跡

坂上田村麻呂は秋田に来たとか来ないとか・・・まずは伝説を!



1、坂上田村麻呂とは
延暦12年  793年  35歳  征東副使が征夷副使に改称
延暦13年  794年  37歳  三回目の征討軍の副使(実質リーダー)として10万人の軍勢で現地に行った。
延暦15年  796年  39歳  陸奥出羽按察使、陸奥守を兼ね
延暦16年  797年  40歳  征夷大将軍になった。
延暦19年  800年  43歳  諸国に移配する夷俘を検校した。
延暦20年  801年  44歳  四回目の征討軍、征夷代将軍として四万人の軍勢で現地に行った。
延暦21年  802年  45歳  阿弖利為
  母礼500余人の京都へ


2、田村麻呂の秋田へのコース

田村麻呂は陸奥から雄勝城、神宮寺、女米木と大嶽丸を追って、ついに寺内までやってきました。

3、関連する寺内の遺蹟

①古四王神社で祈願して ②将軍野に陣地を張って ③幣切山で祈って ④鬼敗坂で負かして
⑤鶴が池で首を落とし、⑥幕洗川で太刀と幕を洗い 鶴が池で祝いの鶴を放って ⑦田村神社で称えた
こんなストーリーですが・・・ 




















4、大嶽丸を破った所

菅江真澄が書いた大嶽丸が図です。
ここにはこんな感じです!
詳細は「東北縄文文化研究会」の方に載せます。



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