2014年4月9日水曜日

❏桜の二都物語

サクロの二都に旅してきました!

1,桜の二都物語

京都と奈良に桜見物に出かけました。
昨年は五稜郭、一昨年の河津桜も開花していなかった!
今年は・・・みごとな二都物語!!
共通項は清水寺の舞台と桜と坂上田村麻呂

2,桜

桜は吉野の山桜がまだ少し早めであったが、他に沢山堪能してきました!

京都 円山公園

吉野の山桜

3,坂上田村麻呂

三度目の正直の延暦十六年(797年)、前回は副将軍だった田村麻呂が征夷大将軍に昇格して、4万の兵で以ってみごと平定する事に成功したのです(11月5日参照>>)
この成功で田村麻呂の名声は高まり、征夷大将軍という称号も、後世、英雄の証として使用される事になりますが、そんな田村麻呂が、凱旋後ほどなくして延暦十七年(798年)7月2日建立したのが清水寺です。
その由緒によれば・・・
宝亀九年(778年)に、僧・賢心(けんしん)「木津川の北流に清泉を求めて行け」という夢のお告げを受け、その清泉を求めて音羽山麓の滝にたどり着いたところ、そのほとりで修業している行叡居士(ぎょうえいこじ)に出会います。
その行叡居士は、賢心に、この地を聖地として守りたまえと、千手観音像を刻むための霊木を授けて姿を消します。
それを見て「行叡居士は観音の化身である」と信じた賢心は、その遺命通り、観音像を刻み、この地を守っていたところ、そこに、未だ将軍になる前の田村麻呂が、妻の安産祈願のために鹿を捕えようと山に登って来ます。

そこで賢心と出会って、その教えに触れたた田村麻呂は聖なる地で殺生をしようとしていた事を深く反省し、後に、自らの邸宅を仏殿として寄進し、そこに本尊を祀ったのが清水寺の始まりとされています。


4,舞台づくり


なんと言っても最大の不思議は、清水の舞台。樹齢400年を越すケヤキの大木が、
釘を使わずに組み立てられています。
その構造美、匠の技は、何度見ても飽き足りない光景です。
上から、下から、じっくりと鑑賞してください。

上が 京都 清水寺の舞台


下が 奈良長谷寺の舞台



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