秋田維摩会では2009・10・26日に、大悲寺の大摂心会の一貫として、「滝田栄さんと花園大学学長阿部宗徹老師の対談」を開催します。
そこで、滝田栄さんの人生について、坐禅との関わりについて、阿部宗徹老師とのつながりについて調べましたので掲載します。映画「不撓不屈」を語るより
滝田 劇団四季のミュージカル「ジーザス・クライスト=スーパースター」のユダ役で注目され、NHK大河ドラマ「徳川家康」や朝の連続テレビ小説「なっちゃんの写真館」と立て続けに声をかけていただき、出演することができました。
――「家康」を演じた際、山岡荘八の『徳川家康』(講談社)を全巻読まれたそうですね。
滝田 もともとは『レ・ミゼラブル』が世界で一番長い小説で、それを山岡先生がもっと大きなドラマがあるから、といって『徳川家康』に挑戦されたと聞いています。僕は、その両方を演じたのですけど。(笑)
――役を演じるために、「徳川家康」では、お寺で修行をされたとうかがっています。
滝田 原作とシナリオに、家康が竹千代と呼ばれた少年時代、臨済寺で太原雪斎禅師に軍学を学んだとある。でも今川方の大参謀の雪斎禅師が敵方の人質の子に戦の仕方を教えるはずがないという疑問が浮かんだのです。
それで、僕のインスピレーションというか、すがる思いで、臨済寺を電話番号案内で調べて、「家康を知りたいので、置いてほしい」と電話をしたところ、「ここは臨済禅の僧堂で、開山以来全く変わらない厳しい生活をしているので、一般の方はご遠慮願いたい」と言われました。僕は、「素足で、地面を歩いたら竹千代と同じことを感じるかもしれない、それだけでいいから置いてください」と懇願したところ、「そこまで言うなら一日でも二日でも来てみなさい、ただし厳しいですよ」という返事でした。
それで、すぐに飛んでいったら、山門が閉ざされていて、「参禅中につき拝観謝絶」とあり、横の潜り戸から入ったら、俗界と全く違う。ある緊張感も伴って、張りつめた空気があった。あと、大きなお寺ですが、塵一つない見事な庭で、400年以上前と全く変わっていない、これは何かあるなと感じました。
修行僧と庭や本堂の掃除、食事の時間を共にし、彼らの坐禅中は部屋で心行くまで勉強し、そこで原作を読んだりしたわけですが、どうしても疑問が解けない。当時、僕は若く、大河ドラマの主役ということで気分が舞い上がって、馬にまたがり合戦に出ていくような、そんな外面的な英雄像を格好よく見せてやろうといった、雑念、妄想が全身を支配していて、人の苦しみや悲しみを表現する、人間のドラマだということが吹っ飛んでいたのです。
そんなとき、「ご隠居」と呼ばれていた倉内松堂老師が、「お勉強は捗りましたか。たまには息抜きにお茶でもどうですか」と、お茶に呼んでくださいました。そこで、甘い、渋い、苦いという三杯のお茶を体験し、「甘、渋、苦という三つの味わいをそろえて人生の味わいというんだ」といった話を聞いた後で、一枚の小さな掛軸を掛けられた。
亡くなられたお釈迦様を囲んですべての生きとし生けるものが涙を流している。「なぜ泣いていると思うかね」と振られたので、「お釈迦様ほどの方になるとお別れが悲しいのでしょう」と答えたら、「そのとおりだ。慈悲という苦しみを楽しみに変えてしまう力を教えてくれた偉大な師匠が旅立たれ、その別れを惜しんでいる絵だ。おそらく雪斎禅師はここで竹千代にこの涅槃図を示して、こういう武将になれと教えたんだと思うが、いかがか」と来た。要するにお釈迦様のごとき慈悲心に富んだ武将になれと、竹千代に教えたわけです。
そのとき、いつも黙って動かないが、遂に戦国の世を終わらせた家康の根本力がわかった。これさえわかれば、何をしていても、僕はもう家康でいられると確信を得た。それで、お礼を述べて、その日のうちに荷物をまとめて下山して、撮影に入ったわけです。
以下は秋田維摩会のブログでどうぞ
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