2009年12月22日火曜日

■国会議事堂はピラミッド



1、エハン・デラヴイのブログより

国会議事堂の上部を見て下さい。見るたびにどうもぼくは (僕だけみたいですが!)どうしてもこの9段ピラミッド式は懐かしいマヤのピラミッドを思い起こさせるのだ。 テレビタックルでこれについて話したが誰一人も国会議事堂の上はピラミッドであることに気づいていないようだった。 如何でしょうか?象徴的ではあるが何か共通性があるようだ。建築的な情報があれば教えて下さい!



現在の国会議事堂は1936年(昭和11年)に竣工したが、その建設計画は明治にまでさかのぼる。

1881年(明治14年)10月、「国会開設の詔」が発せられ、10年後の国会開設が約束された。その4年後に内閣制度が発足、帝国議会開設は1890年(明治23年)と決定し、議事堂建設の取り組みが始まった。しかし、計画は設計の段階から難航し、財政難を理由に当面は仮議事堂を建設することになった(官庁集中計画参照)。

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中央塔 [編集]

中央塔は高さ65.45mで、東寺教王護国寺五重塔(55.67m)がすっぽり入る高さ。建築当時、ビル(塔を除く建築物)としてはそれまで最も高かった三越本店(塔の部分を含めて60.61m)の高さを抜き、1964年ホテルニューオータニ本館 (73m)が完成するまで日本で最も高い建造物だった[10]

ピラミッド型の屋根の中には大広間があり[11]、この大広間の中央からは螺旋階段が尖塔部最上階の展望室につながっている。四畳間ほどのこの展望室からは、かつては東京を一望のもとに見渡せたというが、この展望室も大広間も現在では閉鎖されており、普段は管理人以外は国会議員であっても立ち入ることができない。

4階部分は、国立国会図書館国会内分館になっており、国会関係者は自由に利用することができる。なお、4階部分にはトイレがない(天皇が使用するトイレの上にトイレを造れないため)。





「国会議事堂は誰が設計したのか」「新潮社」
 いま、建築界を代表する四冊の事典は、ことごとく別の名前をあげている。一冊めは「渡辺」、二冊めは「矢橋」、三冊めは「大熊と吉武」、四冊めは「大蔵省」だという。また、三冊の事典は国会議事堂の施工欄をカットし、最後の一冊には「施工者不詳」とある。
 しかし、国会議事堂は完成してからわずか六十年あまり、奈良や平安の昔に建てられた神社仏閣とは話が違う。設計者が確定せず、施工者も不詳と言われると、何らかの作為があるようには思えないだろうか。
 国会議事堂のとなりに建っている憲政記念館、国会図書館について、各事典はそれぞれ「地上二階、地下一階」「地上六階、地下一階」としている。国会議事堂は「三階建」とされていて、地下については何も述べられていない。
 だが、『帝国議会議事堂建築報告書』には、地階の図面が掲載されている。また、同書はこのフロアーについて「新たに地階を設けた」と説明している。

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