2009年6月16日火曜日

■なぜ歌枕かなぜ鹿角か


東北縄文文化研究会のブログで、最近は歌枕を重点に追及しています。
主に、荒俣宏氏の「歌枕」なぞときの旅を参考にしています。

度肝を抜かれる実例を紹介しておきたい。「和歌色葉」という本の難解解説部分に、次の歌が紹介されている。(P25~)







にしき木は ちづかになりぬいまこそは 人にしられぬねやのうちみめ

この歌に対し、解説役の上覚は、「えびす」の習俗が語られている歌である。と説明する。えびすといえば、当時は大和朝廷にまつろわぬ人々を指していた。
上覚によれば、えびすには「よばひ(呼ばい)」と称する習慣がある。一尺ほどのある木を錦のように美しく飾って、これを女性の家の門に立てる。立てられた女性は、もしその男性を受け入れる気があるなら「にしき木」を家に取り込む。反対に、会いたいという気がなければ取り込まない。
しかし、それでもあきらめない執念深い男は、一日一本、そのにしき木を三年間女の家の門に立てつづける。これが千本になると、情にほだされて女が会ってくれる決まりなのだが、それでもなお会いに出てこないときは、恋を断念するしかない。これが「よばひ」なのである。
(筆者注:これは世阿弥の作ったといわれる、謡曲「錦木」のストーリーと全く同じです。どちらが先なのでしょうか。)


この習俗に関しては、あの能因・・・歌枕のルールを定めた大立物にも、一歌がある。

にしき木は 立ちながらこそ朽ちにけれ けふのほそ布胸あはじとや

というのである。この「けふのほそ布」とは、陸奥の国の「いしぶみ」という場所で生産される布のことである。漢字にすれば狭の細布と書く。また「狭の細布」の枕につくことば、つまり関連情報を検索するキーが、「いしぶみや」ということばになる。

いしぶみとは石文、つまり碑文を意味するが、この一例から興味を抱かせるのが、えびすの習俗・・・ここでは陸奥の習俗・・・である。当時としては異国異郷に相当する陸奥の国の習俗や産物が、なぜ和歌に組み込まれる必要があったのだろうか。

その興味に魅かれ、えびすの土地における布と石文の問題を調べ出したら、予想もしなかった発見にぶつかった経験がる。古代において、東北に関するもっとも重要な地域情報こそ、この「布」と「石文」だったのだ。

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私にはここの文章が最も心に響くところです。
荒俣氏は、「いしぶみ」についてはかなり多くのページをさいていますが、「布」についてはほとんど書かれていません。
①「けふのほそ布」は「いしぶみ」という場所で生産される布である。としています。
壺の石碑は多賀城と南部野辺地と七戸の間の坪村の二カ所がいわれています、しかし「布」の探求はありません。

②最も重要な地域情報といいながら、「布」の錦木塚には行かないで、津軽に飛んでいます。
私には「いしぶみ」という場所で生産される布」ですから、鹿角が大変重要な意味をもっているものと確信できるのです。
後で、歌枕「壺の石碑」のところで深く探ってみます。

③当時としては異国異郷に相当する陸奥の国の習俗や産物が、なぜ和歌に組み込まれる必要があったのか。錦木塚伝説の「呼ばい」と「けふの細布」がどうして歌枕になったのでしょうか。世阿弥さまのおかげなのでしょうか・・・。

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