2009年11月4日水曜日

■なぜ藤原直哉はこれからは「ロハス」というのか

経済アナリスト藤原直哉氏が「突き抜ける生き方」で、「今は乱世だ、乱世にあっては、自分から未来を感じ、働き方、生き方を変えていかなければなっらない」といっています。そして、これから先にあるのは「ロハス」だと言っています。(p31~)

、現在は終戦後の焼け野原と同じ
太字
 日本でも大混乱が始まるのも時間の問題。建設・不動産にとどまらず、生産・流通大手にまで記紀が波及し、倒産ラッシュで、失業者、生活困窮者があふれるかもしれません。
 それに、食糧・資源暴騰が再燃する恐れもありますから、都会人は息の根を止められかねない。新型インフルエンザの襲来は、生活が止まる恐怖をかいま見せてくれました。
 私たちは、敗戦直後の“焼け野原”に投げ出されているのです。


2、市場原理主義の狂信とテロの恐怖

 資本主義でも市場原理主義、共産主義でも、人々の思いや行動がその規範に収まっているうちは、どの国でも形の上では経済が回りました。
 ところが二〇世紀末に世界の金融、経済の統合が進むと、欧米の市場原理主義が広がり、資本の論理、市場メカニズムへの「狂信」が蔓延して、世界中がおかしくなったのです。

 9・11のあとはテロ、すなわち「恐怖」との戦いという論理も加わりました。


3、市場原理主義が崩れ去ろうとしている

 ・しかし、イラクやアフガニスタンへの戦略が失敗し、米国の化けの皮がはがれました。
 ・同時に、市場原理主義という哲学は、いとも簡単に崩れ去ろうとしています。
      (筆者:もう実感として誰もが感じています)


4、新しい世の中の方向づけ

  問題はこれからです。世界を度維持に引っ張る新しい思想は、まだ表舞台に登場してはいません。
  日本でも同様ですが、未来の兆しはあちこちで芽生えています。

  乱世にあっては、財産を守っても、近乱の先にある新しい時代に生きる能力を持ち合わせていなければ、混乱を乗り切ることさえ出来ないのです。

 私は疲弊した幕末期に二宮尊徳が説いて実践したように、あらゆる自然の要素、モノ、人から、死蔵されていた潜在能力を引き出すしかないと考えます。

①自然、人との絆を大切にしながら生涯現役で生きるロハス」。
  (家族や地域、自然の絆の中で元気に生きる{ロハス」)

②上からの統制ではなく、みんなの潜在能力、自発性を活かし合う「ヨコ型リーダーシップ」。

③その二つを基軸にした「グレイト・コラボレーション=偉大なる共生」社会の実現。


*頑張っているつもりでも、いまだ20世紀の成功を夢見ていては、出口が見えません。その先に突き抜けるかどうかで、あなたのこれからが決まります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
グレイト・コラボレーションについては「石井巡堂のブログ」の載せています
(はりつけ)

経済アナリスト 藤原直哉氏の
偉大なる共生=グレイトコラボレーションとは

「世界同時株大暴落」より引用 P226~

ロハスの頂点にあるもの、それはいろいろでしょうが、その大きな一つとして「グレイト・コラボレーション=偉大なる共生」の社会に生きる気持ち、が考えられます。

次の時代、21世紀のロハスの一つの頂点は「共生」にあるのです。共生は自分の隣にいる人、隣の町、隣の会社、隣の国、自然、時代、自分の外部の人や組織すべてと一緒に協調していくということです。

共生=コラボレーションは、チームワークと対比するとわかりやすいでしょう。チームワークは、一つの組織や集まり、チームの中での協調で、コラボレーションは自分と外との協調なのです。

20世紀までの時代は、あまりにも自分と外部を切り離しすぎていたと思います。「現代」という時代は、家庭や企業、地域、国のそれぞれのレベルで共同体を壊してきた時代だったのです。
その破壊が極限まできたのがまさに今であり、この極限まで振れた振り子は、必ず元に戻ろうとします。すべての共同体の破壊から、すべての人、民族、国家、自然、地球存在との共生が、巨大な破壊のあとに訪れるのだと考えます。

それが自分たちにとってもっとも大切なことであり、もっとも快適なことであると確信しはじめているのがこの変動する時代だと私は感じています。

あらゆる種と束縛を超えて人はあらゆる存在と共生することに取りかかっている、これがきたるべき「グレイトコラボレーション」の黎明です。

すごい時代に私たちは立ち会っているのです。どんなシュミレーションゲームより、緻密でダイナミックな世界です。

これからは、ロハスな生き方を取り入れる人でないと、元気が出ない時代になることは明らかだと思います。同時にこれからは、個人の生活においても、地域おこし、町おこしにおいても、自ら動くということをしない限り何も始まらない時代となると思います。

自分から動いて自分で渦を創り出し、ヨコ型のリーダーシップでヨコにネットワークを拡げながら、人や資金、情報や技術を集め、広めていく、それが本当に必要なことだと思います。


新しい時代は、早い人にはすでに訪れているのではないでしょうか。まだ、それを感じられない人は、大いに周囲に視野を広げて、感性のアンテナを伸ばして、新しい時代の動きを見つけていただきたいと思います。
                        以上メモです

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



2009年11月3日火曜日

■オカリナのすごさ

音楽の力・オカリナのすごさを実感してきました。


1、日々新たな母

現在の母は「日々新たな状態」です。
先週は孫たちが来て楽しく過ごしたのはもちろん。
昨日にも娘たちが来たのももう記憶にはありません。
娘「今月はおばあさんの誕生日だよ、いくつになったかな」
母 「うーん 60歳だったかな」
娘 「私がもう 還暦なのよ!」
母 「そうすれば 私はもう 80歳か・・・!」
昨日と今日が同じ会話でした。


2、オカリナを吹きました















3、歌えるのです

一緒に歌い出します。

昔の唱歌は歌えるのです。

しかも3番まで・・・。









4、母の生地でつくった


オカリナの容れ物は母の生地でつくったもの。

これも思い出しました。

オカリナ=音楽の力はすばらしい。








・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

■これからは低エネルギーのロハス

これからの日本の方向はこうなるようです。
まだまだありますが、これからはロハスだ!! というところまでを補正しながら掲載。


■低エネルギー(ロハス)による日本経済の再生
1、日本はなぜ壊れていくのか?
  一番根本的な原因は、安心して働ける場所がないこと
2、なぜ安心して働ける場所がないのか?
  経済が大きく変化しているのに、昭和時代の常識で経済を運営しているから
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
癒着解消・庶民救済といっても、すぐにはぴんとこないだろうから、自動車を例にとり考えてみよう。近頃は若者の車離れが進んでいるという。今の若者は車にもう興味がないそうで、国内市場は伸び悩んでいる。しかし、それはこの長年続いた不況のせいで、若者が車を維持するお金がなくなってしまったのが一因である。
車を維持するには非常にお金がかかる。ただ単に、車本体やガソリン代がかかるというだけでなく、その他にかかるお金を見ていけば、私が言っている癒着と利権の構造が見えてくる。
たとえば、車の免許、車検、自賠責、重量税、高速道路の料金、ガソリン税、ガソリンの暫定税ざっと考えただけでも、これだけ上げることができる。車だけで、きっとこの五倍、十倍の規制があるだろう。この一つずつの規制から特定の人々だけが利益を得て、庶民は、お金をせびられるのである。こういうものをほったらかしにしていたら、庶民の生活はちっともらくにならないのである。
自動車の免許を取るのに20万から30万円もするのは先進国でも日本だけではないだろうか。指定自動車学校が、実地試験を実施することを許している一方で、免許センターでの実地試験は、気が遠くなるくらい難しくしてあるので、事実上、ほぼ全員が20万から30万円を払って指定自動車学校にいなくてはならないのである。これは見えない形の税金であると考えるべきだ。
すぐにこの指定自動車学校の制度を廃止し、免許センターでの実地試験を、現在の自動車学校の実地試験と同程度にし、夜間も週末も受けられるようにするべきである。これにより自動車学校の学費は大幅に下落するだろう。現在でも、指定外の自動車学校であれば、7から8万円しかかからないのである。
車検というのもおかしな制度だ。日本車が世界で好まれるのは、簡単に故障しないからである。新車を買った三年後に、大金を払って車検に通さなくてはいけないなどとは、まったくふざけた制度である。ロシア行きの貨物船には日本で乗るなら車検を通さなくてはならない四年落ちの日本車が山積みにされているそうである。このような制度のため、まだまだ乗れる車をみすみす海外に格安で売ることになるのだ。車の故障で事故が起きたらそれは車のオーナーが責任をとればすむことである。その責任を社会全体に押しつけるために、車の維持費が高騰し、若者が車に見向きもしなくなるのだ。
自賠責も同様である。すべての車に保険の加入義務を課したとしても、同様の保険は民間の保険会社が何の問題も無く販売できるはずである。百歩譲って、自賠責を存続させるにしても、任意保険の加入していれば、自賠責の加入義務がなくなってもいいはずである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

3、具体的には?
  クルマやテレビを輸出して、食糧、資源を輸入することを依然として経済の基本と考えているから
4、それがなぜ悪い?
  発想と製品が陳腐化して経済に深みがなくなり、激しいコスト競争で疲弊した
5、競争に勝つためには仕方ないのではないか?
  いや、いたずらにコストと性能で競争するから疲弊した
6、ではどうすれば日本経済は復活するのか?
オンリーワン、すなわち日本だけの独自性を生かすしかない。現在のように過度の貿易に依存した経済体制を、国や地域の独自性を生かした内需中心の経済に立て直せば、仕事もたくさん生まれてくる。
7、それは経済が退化することではないのか?
いや、違う。20世紀末から多くの人々が求めている21世紀的な価値観のもと、温故知新で経済を立て直すことだ
8、21世紀的な価値観とは?
健康と持続可能性を求める価値観のこと。それをライフスタイルに現実化させたいと考える人がどんどん増えている(ロハス層)。安心して働くことができる社会も健康で持続可能性の高い社会である
9、どうすればその価値観を実現できるのか?
  ひとつの秘密がある
10、その秘密とは?
 20世紀のわれわれの経済、家庭、社会の運営を、もっとずっと少ないエネルギーで行うと、自然に健康で持続可能性の高い世の中になる
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2009年10月31日土曜日

■種苗交換会でペレットストーブ展示会


秋田県種苗交換会会場でペレットストーブの展示会を開催しています。
秋田駅前第一会場で「秋田木質ペレット普及促進協議会」会員が展示説明しています。
会期は2009・10月30日から11月5日まで

1、会場は秋田駅前 大屋根下(西部デパート前)



大屋根下通路です













2、全体が見えます


朝一番でしたが大勢が集まっています












3、ペレットストーブ展示の様子
















ペレット協議会の看板です。













・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


2009年10月29日木曜日

■シイタケがとれました

昨年「駒打ち」したシイタケのホダギに秋も収穫できました。

1、かなり大きくなっていました
















2、ホダギです















3、こうして














4、こんなところに

雑木林の中

テラスのすぐそばですが、見えないようにしています。











・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2009年10月28日水曜日

■滝田栄さんと鶴の湯温泉へ

坐禅会(秋田維摩会)の会長として、滝田栄さんをお迎えした、講演会のあとに鶴の湯温泉に行ってきました。

温泉前 全員で!




















懇親会

老師の後ろ、床の間の作品が私のものです。












魔女様はいい男とツーショット!




















阿部老師とも!














私もかろうじて分かれる寸前に
角館で!














・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2009年10月24日土曜日

■阿部老師の「あした元気になあれ」


我々の坐禅会の師家:阿部宗徹老師と俳優・滝田栄さんの講演会が近づいています。(10・26)

臨済宗の機関紙「花園」誌上に、阿部宗徹(浩三)老師のエッセイが載っています。

阿部宗徹老師のプロフイール
・一九四七年 青森県生まれ
・花園大学出身
・足立宗詮老師のもとで得度、倉内松堂老師に嗣法
・臨済宗妙心寺派 大本山妙心寺第704世
・静岡 臨済宗専門道場 臨済寺 僧堂師家 修行僧30人の指導
・花園大学学長 二期目

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1、ロンドンの精神医療のシンポジュームで、阿部老師の穏やかなお顔がパネルに映り「なんにも悩みのない顔だ」と報告した人がいた。
2、それを試しに会いにきた外国人がいた。

3、阿部老師「私だって悩みがないわけがない。悲しみがないはずがない。心は戸惑い、思いは揺らぎ、苦しもも果てしがない」
・ところが「それと同時に、心はときめき、夢は大きく、志も果てることもない」

4、誰もがこの中にいて、それを繰り返し繰り返し生きている。何事にも無関心でいることは、一見超然とした世界だと思われている。それでいいわけがない。
人生ピチピチ。こんな人生覚悟して、今日の一日ご苦労さん。明日元気になあれ。である