2014年9月17日水曜日

■あこがれのカヌー初体験!

ずーーとカヌーに憧れていました・・・やっと実現しました!

1、岩手県御所湖

9・15は結婚記念日(44回目)、岩手県にでかけました。
繋ぎ温泉の手前で、御所湖のカヌー体験ができることを知りました。
カヌーは憧れでした・・・ずーーーと!

2、カヌー体験

借り物の写真ですが・・・こんなものでした
普通のボートは得意ですから、カヌーも絶対出来ると思っていました
やっぱり・・問題ありませんでした。




3、気持ちいい・・・

空素沼で遊んだら・・と考えていたのですが
カヌーは広い場所で無いと楽しめないことが分かりました
簡単にかなり速くこげますから
気持ちいものです!!

4、やはり水の遊び

まだ最初だからでしょうか
ズボンが水で濡れます
このスタイルを見ても・・やはり濡れるものでしょうか


2014年9月12日金曜日

■地区敬老会参加

寺内地区の敬老会が盛大に開催されています!

このような集合行事は1枚にまとめた写真集をつくっています。
みなさんにすぐ配布します・・・喜ばれます!!

全員の合唱は「北国の春・・・替え歌」です

こざくら 青空 南風
こぶし咲くあの丘 こざくらの ああこざくらの春

季節は・・・・・・・

あのこざくらへ 帰ろかな 帰ろうかな

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2014年9月10日水曜日

■文明の発祥はシュメールか?

太古の事を調べるとシュメール人に行き当たる・・シュメールとは

1、文明の伝来は西から

世界基準の考え方からは当然、文明は西洋から
太古はメソポタミアから

2、平田篤胤の文明のブーメラン

平田篤胤は「古道大意」で述べています
すべての大本はこの日本である
日本から世界に文明が伝わったのである・・・
それがまた日本に戻ってきた・・・ブーメランですね!!
(今、平田篤胤の「霊の真柱」の動画紙芝居に取り組んでいます)

3、メソポタミアとはどこか

ご存知世界の四大文明発祥の地のひとつですね

(引用)
紀元前5千年頃、後にメソポタミアと呼ばれるユーフラテス河の沿岸地帯に、ある農耕民族が住み着いた。彼らの住み着いた土地は、耕作や放牧に適しており、近くの湿地帯では、魚と鳥が常に豊富に得られるという生活するには理想的な環境だった。
 その農耕民族は、ウバイド人と呼ばれ、その後、千年以上もそこに住み着き、泥でレンガをつくって街や神殿をつくり、その後のメソポタミア文明の基礎をつくることになった民族である。彼らの有能で進取性に富んだ気性は、まもなく、この地を中近東で最も繁栄した地帯に押し上げていった。ただ、彼らは、文字を持たなかったので、詳しい記録を残すことはなかった。

4、シュメール人

(引用)

ところが、紀元前3800年頃、どこからかシュメール人と呼ばれる民族がやって来ると、信じられない大変化が起こった。文明の一大ブレークとも言うべき現象が起きたのである。メソポタミアの地は、わずかの間に、前例のない大繁栄を記録した。そして、空前とも言える政治権力が打ち立てられたのである。それは、美術、建築、宗教は言うに及ばず、社会機構、日常の細かな慣習から楔形文字の発明に至るまで、それらは、すべて、彼らシュメール人の成せる画期的偉業であった。世界最初と言われる船や車輪つき戦車なども、この頃、シュメール人によってつくられたのである。


遮光式土偶にも煮ています・・・そんな話はあとで!!
まだ入り口です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2014年9月9日火曜日

■十五夜お月様

9月8日は十五夜さんでした!

1、十五夜のおそなえ

見事なお月様・・・こじんまりお供え!

2、誰だ団子に手を出すのは!

拝んだばかりなのに・・・!! 私の手じゃないね!!

3、お盆を初めて利用

分厚いお盆です・・・でも月夜にぴったり「瑞雲」を彫っています!!

4、仲秋の名月ってこんなに早かった?

何時の10月が本番で、栗名月と思っていましたが・・

勘違いですが・・今年は特に早いようです。

(引用)
それから、2014年の中秋の名月は、2000年からの50年間で最も日付が早くなっています。下表をご覧ください。9月10日よりも早い日付となる中秋の名月を2200年まで調べてみると、19年周期で起こっていることがわかります。そして、9月8日よりも早いのは、2052年9月7日だけですね。そんなわけで2014年は、相当早い日付に見られる中秋の名月だといえるでしょう。
満月旧暦8月15日
2000年 9月12日 9月14日
2001年10月 1月10月 2日
2002年 9月21日同左
2003年 9月11日同左
2004年 9月28日同左
2005年 9月18日同左
2006年10月 7日10月 6日
2007年 9月27日 9月25日
2008年 9月15日 9月14日
2009年10月 4日10月 3日
2010年 9月23日 9月22日
2011年 9月12日同左
2012年 9月30日同左
2013年 9月19日同左
2014年 9月 9日 9月 8日
2015年 9月28日 9月27日

今年以降の中秋の名月の日程は以下のようになっています。
  • 2014年(平成26年):9月8日
  • 2015年(平成27年):9月27日
  • 2016年(平成28年):9月15日
  • 2017年(平成29年):10月4日
  • 2018年(平成30年):9月24日
  • 2019年(平成31年):9月13日
  • 2020年(平成32年):10月1日

中秋の名月は満月とは限らない

十五夜の日は満月の日に近い日ではありますが、必ずしも満月になるわけではありません。新月から満月に至る期間が、毎回ぴったり15日間ではないことから、年によって多少ズレるようです。
2011~2013年は満月の年でしたが、今年から2020年までの7年間は完全な満月ではなく、ほんの少しだけ欠けた名月の年になります。つまり、月は毎年その年だけの形をしているんですね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今年は陰暦(日本古来の暦)を気づかせられる年になるようです!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2014年9月5日金曜日

■古川隊長がペレットストーブ持ってきた!!

点検整備に出していたペレットストーブが戻ってきました!


1、戻ってきた

点検整備のため、さいかい産業の古川隊長が春に新潟まで
持って帰りました。9月4日古川隊長が持ってきました。

2、風が強かった

ストーブが多少臭いが出る時がありましたが
外の風が強い為、逆風で換気の問題があったようです。
今回は排気と吸気をあらためて完全に分離していただきました。
これで大丈夫だそうです。

3、勢ぞろい

右から秋田雪国科学の佐藤社長(癒)、さいかい産業古川隊長(希望)
私、さいかい産業込山さん(希望)
音楽から、ペレとストーブから世界情勢まで楽しい
お茶の時間でした。
()内は贈呈下刻字作品名です!

4、ただものでない「古川隊長」

こちらをご覧ください「古川隊長が語る木質ペレット事業の意義」

<iframe width="560" height="315" src="//www.youtube.com/embed/-y4MucG61Oo" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

2014年9月4日木曜日

■あなたに「希望」を!

既に激動期のまっただ中・・・あなたに希望を差し上げます!


1、希望作品

蘇東坡の書・ケヤキの彫った「希望」作品

2、蘇東坡

中国北宋の詩人・政治家。四川省生。名は軾、字は子瞻、東坡は号。文人として世に知られる詩文を通じて、その作品の力強さは、人間愛の深さ、不屈意志、激しい正義感など、人間としての偉大さに発するといわれる。画は枯木・竹石・寒林を得意とし、書は若年王羲之晩年には顔眞卿を学んだ。政治家としては、いずれの党派に対しても常に批判的立場をとった。徽宗元年(康和3)歿、66才。
書家としても著名で、米芾黄庭堅蔡襄とともに宋の四大家と称される。蘇軾ははじめ二王(王羲之王献之)を学び、後に顔真卿楊凝式李邕を学んだ。代表作に、「赤壁賦」(せきへきのふ)・『黄州寒食詩巻』などがある。

3、ケヤキ
木目が美しく、磨くと著しい光沢を生じる。堅くて摩耗に強いので、家具建具等の指物に使われる。日本家屋建築用材としても古くから多用され、神社仏閣などにも用いられた。現在は高価となり、なかなか庶民の住宅には使えなくなっている。
伐採してから、乾燥し枯れるまでの間、右に左にと、大きく反っていくので、何年も寝かせないと使えない。特に大黒柱に大木を使った場合、家を動かすほど反ることがあるので大工泣かせの木材である。また、中心部の赤身といわれる部分が主に使われ、周囲の白太は捨てられるので、よほど太い原木でないと立派な柱は取れない。
古い材料です、年輪をうまく生かしています。
蘇東坡の書にふさわしい板材は、やはりケヤキです!!

4、希望は心の太陽である

夢が具体的な形状をとりつつある状態。夢が存在としてのエネルギーなら、
希望は活動を始めたプラズマ状態。

希望は心の太陽である。



作品はKさんに差し上げましたが、
あなたも心に「希望の太陽」を・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


2014年9月2日火曜日

■菅江真澄の「黒頭巾」はいつからか?

謎の多い真澄だが、その一つに「黒頭巾」がある!!



1、謎の多い菅江真澄


いつから黒頭巾(常被り)なのか


2、信州では頭巾なし

信州は最初の旅地、不思議なことに「天妙の密偵」といわれるが
最初の一年間(30歳)この辺でいる・・・??
この頃の画像には頭巾はありません。

3、秋田に来る前の津軽藩にて



4、秋田では黒頭巾

菅江真澄研究会の没後160年シンポにでました(昭和63年7月11日、秋田市文化会館)
この時の寄稿文・百目鬼恭三郎氏には
津軽では被っていなかったが、秋田に戻ってきた時は黒頭巾を被っていた。

時期はこれでいいのでしょう・・・!!
理由は・・・津軽藩の仕打ちによるものなのでしょう・・!!

PDF静止画はこちら

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
百目鬼恭三郎氏の寄稿文を載せます