2014年2月7日金曜日

❏菅江真澄「水の面影」現代語訳完成!

菅江真澄「水の面影」現代語訳完成・・バンザイ!!


1、完成品

大難産!!・・大奮闘!!・・・のすえに完成しました
バンザイバンザイ!!

2,贈呈状



各 位 様
 2014年 2月 7日
                   寺内史跡研究会  
贈  呈 
菅江真澄著「水の面影」現代語訳
 まだまだ寒さが厳しいですが、このところ日が長くなったように思えます。
 さて、高清水の丘を含む寺内地区は秋田城跡を始めとする旧跡・神社仏閣に長い歴史の名残を見ることが出来、周辺にはそれにまつわる数多くの伝説・伝承も残されています。
 当地区の歴史は多くの先人たちの研究が行われ、「寺内町誌」や「史跡の里『寺内』のはなし」などがありますが、いずれも菅江真澄の「水の面影」から数多く引用されています。
 しかしながら、菅江真澄の「水の面影」はまだ現代語訳になっておらず、郷土史愛好家にとっては大変難解なものとなっておりました。そこで寺内地区市民憲章推進協議会の活動を通じて、寺内地区に居する郷土史愛好家の有志で地の利を生かし郷土史を勉強するということで「寺内史跡研究会」を立ち上げ、大奮闘の結果、このたび現代語訳「水の面影」が完成いたしました。
菅江真澄「水の面影」現代語訳(A4版32P)を贈呈させていただきます。これが皆様の郷土史及び菅江真澄研究の参考になれば幸いです。
なお、本事業は秋田市地域づくり交付金事業として実施したものです。




贈呈はまだ関係者だけですが

3月の報告会が終わればどなたでも
差し上げます。

2014.3・5

秋田さきがけ新報に「菅江真澄と探る高清水の丘」報告会が
大きく掲載されたら
あっという間に在庫切れとなりました
市内各図書館屋コミセンに配置しておりますが

インターネット活用できる方は
こちらからPDFで閲覧・印刷が出来ますので
ご利用ください。グーグルドキュメントですから
中の「菅江真澄 水の面影」クリックしてください!

https://drive.google.com/?hl=ja&urp=http://www.google.com/google-d-s/intl/ja/tour3.htm&pli=1&authuser=0#my-drive






2014年2月6日木曜日

❏そば打ち体験・・・十割そば

自宅で「出張・・そば打ち」体験しました!

1,そば打ちの勇姿

いとこのTさんは「春林堂」の看板を背負っています
年に一回、暮れにそば打ちを教えてもらっています

2、いとこの「春林堂」さんがやってきた

今日は我が家に出張してきていただきました
一式がシステム化なっています
町内の皆さんに手伝ってもらいました

3,いざ はじまり

十割そばなんです
粉も水もきっちりと測って行います
そば粉の産地によって水の量が違うのだそうです

4,伸ばして切って

どうです・・様になっているでしょう・・・
今年は話題の人に習って私もエプロン姿になりました


夜景を見ながら・・・美味しく

食べるのに夢中で写真を撮りませんでしたが
このライトアップ夜景を見ながら
さすが・・・手打ちは違う・・とみなさんに喜んで食べていただきました


2014年2月5日水曜日

❏宇宙人は存在する・・あなたも宇宙人?

宇宙人は確かにいるというお話・・・!1


1,カナダ・ポール・ヘリヤー氏

【大紀元日本2月4日】カナダ元国防長官のポール・ヘリヤー氏(Paul Hellyer)は昨年、「宇宙人は確かに存在し、ずっと米国と協力して科学技術を推進している」と公言した。

 彼は宇宙人について長期にわたり調査研究してきたが、最近、ロシアテレビ局の取材を受けた時、「宇宙人の地球訪問は、すでに数千年の歴史があり、約80種類もいて、一部の宇宙人は表面から見れば人類と同じ姿形であり、我々の身辺で行き来しても見分けることができない」と語った。


2,3種類の宇宙人

彼は具体的に3種類の宇宙人の姿を語った。「一種類は背が高く白人と似ていて、米国ネバダ州で米空軍のために働いている。修道女のように着飾ってラスベガスでショッピングをしても周りの人から気づかれない。もう一種類は金髪の北欧人に似ていて、街で見かけたらデンマーク人だと思われるかもしれない。第3の種類は映画などに出現するような宇宙人で、低い身長、大きな頭と目、細い手足の姿をしている」
例・・・白人型

例・・・デンマーク人型

3,宇宙人の掟

       宇宙人の素性について、次のように指摘した。「宇宙人は異なる天体からやってきた。太陽系以外から来たものと、太陽系の火星、金星と土星から来たものがいる。           彼らの間には交流があり、ともに守る掟もある。掟の一つは人類の要請がなければ、勝手に人類社会に干渉してはいけないということだ。                                  これは恐らく、彼らがこれまで、あまり人類の前に姿を現さない原因の一つだと考えられる」

4,あなたも宇宙人

人類の科学技術は、宇宙人から由来したものだとヘリー氏は主張し、次のように語った。「宇宙人の科学技術は人類のものを遥かに超えており、人類が今使っている多くの技術はすべて宇宙人からのものだ。例えばLEDライト、半導体チップ、防弾ベストなどに使うスーパー繊維や医薬、農業の領域の多くの科学技術などもそうである」


これからの時代は健康と戦略的低エネルギーで持続可能社会
と直感で分かって行動する人
そう 「ロハスな生活」を実践してる人
その人は一般の人からは宇宙人の様に見えるかも知れない
(藤原直哉さん)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



2014年2月4日火曜日

❏藤城清治のカレンダー利用法

影絵作家藤城清治の終わったカレンダー・・・どう利用する!

1,藤城清治さん

藤城清治の影絵カレンダー買いますよね
過ぎ去ったカレンダーどうする
普通はただ壁に貼り付けておく・・・

2,我が家の○○○美術館

YOKOが作ったものです
グラスアート手法もあります
これなら快適な○○○となりますね!



2014年2月3日月曜日

❏菅江真澄「水の面影」解説(3)編集の特徴

菅江真澄の水の面影現代語訳完成に伴う解説



3, 地誌編集への過渡期の著作

現在知られている原本は、その上巻だけで、体裁は、半紙判、全二一丁。図絵はない。二つ折りの半紙を紙こよりで綴じた仮装本で、表紙の中央には、
直接真澄の筆で「水ノ面影 上」と記される。

漂泊当時の真澄の日記には、携帯に便利な小型判(美濃紙半裁二つ折り)に仕立てられているが、秋田に定住するようになった文化九年以後は、同年七月の日記《つきのおろちね》をのぞいて、すべて半紙判にまとめられている。同じとしの春に書いた《みずのおもかげ》が、はたして小型判の体裁に清書されたかどうかは今のところ疑問である。ただ推測されることは、後述のとおり、最初の日記体の形式ではなく、題条を設けた地誌の体裁で、後年改めて、《みずのおもかげ》を書こうとしているが、しかしそれは結局未完成に終わったように思われる。


《みずのおもかげ》上巻を、真澄はまず、二月初め、および三月初めの、二日間の日記のようなまとめ方で書いているが、これは従来の日記体裁とは異なり、狭い地域の古事来歴を詳しく探索するために、その前後、多くの時日を予備調査にあてるという新手法を用いている。従ってむしろこれは、日記から地誌編集へ移行する過渡期の著作ということができよう。


解説は内田武志さん


水の面影 上巻表紙



現代語訳は真澄の意向に従い地誌編集
様式とした
目次

 ■水の面影」(前半)
1  堂 場・・・・・・・・・・・・
2  綾小路
3  梅屋敷
4  古四王神社
5  次装野
6  鐘撞長根・殖野
7  久保田の遠望
8  苗 秀
9  雷電の離れ山
10 児桜の岡
11 生根が沢・空素沼
12 烏が池
13 蟹 沢
14 槻館と坂上田村麻呂
15 槻館と石鏃
16 濡 池
17 お休山
18 白坂山・寺内の謂われ


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2014年2月2日日曜日

❏「こけし」売ります・・・交渉中

町内公民館に集まった大量の「こけし」群・・売りたい

1,こんなにあります

3年前に町内会員から寄贈いただいたものです

Aグループ

グループ分けして写真撮っています

Bグループ


Cグループ


Dグループ


Eグループ


Fグループ


Gグループ



Hグループ



ネットの買取屋さんに連絡中です

こけしや民芸品、郷土玩具を買取いたします



2014年2月1日土曜日

❏菅江真澄「水の面影]の解説(2)現地踏査

菅江真澄の「水の面影」現代語訳に当たって、内田武志さんの解説(2)



「水の面影」解説 菅江真澄全集著者 内田武志

1 文化九(1812)年の著 

「古老たちから尋ねながら、現地踏査した」
  


文化八(一八一一)年の夏から久保田(秋田市)に居住するようになった真澄は、佐竹藩校明徳館の助教那珂通博の推輓を受けて、藩内六郡の地誌を編むことになった。

《みずのおもかげ》には、「寺うち、矢ばせなどの村々のふることを、としたかき処人にたつねて書きたるふみなり」とある。しかし現在知られている《みずのおもかげ》は上巻だけでそれには年次がない。某年の二、三月ごろ、今の秋田市寺内から八橋方面の旧跡を探遊した記録とみられるが、文化九年(一八一二)年七月の日記《つきのおろちね》の冒頭には、次のように言っているから、同じ年の探訪であることがわかる。「この春より、このあたりを尋ねわたりて、『水の面影』という冊子に寺内山のふるあとをたどりて書いてあつめ・・・」

そこの名所十八箇所の由来は当時すでに知るひとも稀になっていたから、真澄は里の故老たちに尋ねながら、実地踏査をした。その記録を《みずのおもかげ》と表題したのである。





 
3月2日の報告会参加の方に「水の面影現代語訳」無料で差し上げます




内田武志さんとは