2013年2月14日木曜日

■白隠展を見て来ました

50年思い続けている白隠、「白隠展」見て来ました

1,渋谷「bunnkamura」の「白隠展」
白隠慧鶴(はくいんえかく1685~1768)をご存じでしょうか。臨済宗中興の祖とたたえられ、一万点にも及ぶ魅力的な禅画を残した江戸時代の禅僧で す。民衆の教化に用いられたそれらの作品は、これまで一部の研究者、コレクターたちによって高く評価されてきましたが、一般的な知名度がさほど高かったとは言えません。 
この「半身達磨図」、通称「赤ダルマ」がありました。印象的でしょう!!
田舎者は渋谷を歩くのはむずかしいマップを持っても、3回も聞いてたどりつきました!

2,私の彫った白隠「鉄棒」

 「此の王路(このわろ)を恐るる人ハ極楽江(おそれるひとはごくらくえ)」
 地獄の鬼の鉄棒が怖い人、悪いことをした人は極楽へ行けないが、悪いことをしなければ極楽へ行けるよ。
作品
寸法:1,200*350*30
材質:青森ヒバ
技法:かまぼこ彫り
塗装:刻字 水性塗料
塗装:表面 オイルフイニッシュ
制作:平成13年3月
贈先:自家所有
作者寸評:鉄棒を彫ると同時に、座禅の呼吸法をこの鉄棒のように、渦巻きスタイルをイメージして天と地に繋にしています。   


3,「金毘羅山大権現」

解説:金毘羅は、もとは薬師十二神将の一人である金毘羅神将、武装し憤怒相をする護法神である。日本では大物主神がその垂迹とされ、さらにf権現として信仰され、海上交通の守り神として信仰されてきた。江戸時代後期には四国の金毘羅宮に詣でる金毘羅参りが盛んになった。
白隠は多くの場合、「秋葉山大権現」と「金毘羅山大権現」を対幅で書いている。白隠はこの二つの神号は火伏せなどという個別の利益を超えた、いっさいの災難を除き、いっさいの福をもたらすという、「スーパーお守り」意味を持っていたのであり、修行のための究極の護法の守護神だったのである。
寸法: 1,200*350*30
材質:青森ヒバ技法:かまぼこ彫り
塗装:文字(漆) 表面(オイル仕上げ)



4,「慈  かわい子や・・・」
かわい子や
 つかうのも人の かわい子よ
 我がかわい子に 思いくらべて
 白隠慧鶴ハクインエカク語録ゴロク

 慈イツクシミの心を持って
 すべての人に接していけば
 誰でも心を開いてくれる

 春の風のように 温かい心で
 人々の心を吹いていけば
 争うことなど一つもない
 差別することなく
 すべてが わが子なのだと思って
 つきあっていくことである


2013年2月12日火曜日

■わが家のミニカマクラ

雪ならば雪で遊ぼう!!

1,ミニカマクラ

屋根雪が落ちて居間の外にはまだこんなにあります
ミニカマクラが出来ました!

2,邪魔な外界の景色なし

肉眼ではほとんど気にならない外界の夜景が
カメラだとよく写ってしまいます。
風がありましたので両側が風前のともしびです!

3,癒しです!

雪の中の明かりがいいですね!!

4,ペレットストーブの炎も!

ペレットストーブの炎もいいですね!!










2013年2月11日月曜日

■「このままでいいのか秋田県」読みました

「このままでいいのか秋田県」を読み、共鳴することがたくさんありました!
素晴らしい切り込み、まとめ、提言・・感動です

1,この本です

著者は関根紳仁氏です。
民間のサラリーマンとして首都圏の大企業で長らく勤めたあと、
秋田県の公益財団法人あきた企業活性化センターに5年間滞在し
秋田県の現状と処方箋をまとめていただいたものです。

2,これから百年変わらない秋田

共鳴することはたくさんありますが、まずはこれから・・・・
「これから百年たっても変わらない真実」

今はまさに冬、小正月の伝統行事が真っ盛りです!!
こう書いています
「人口が減っても参加者が減っても、これ等の行事は大事に
受け継がれるに違いない。」

夏祭りも
「大曲の全国花火競技大会は百年後も日本一の花火大会であると思う。」


3,「江戸時代そのままの秋田県」

40年前の記事と今も同じ
①「官公庁依存。官尊民卑。県庁が就職人気。」
②東証一部上場は秋田銀くのみ・・・企業が育っていない
③「俺もやらないかから君もやるな」
④「秋田商法。サービス、接客態度の悪さと、消費者に買っていただく意識。」

ものづくり至上主義画すべて、客の満足を高める殊に価値観はおいていない。
見栄で高いものを買う消費者行動。

(今の知事は佐竹の殿様!!!!)

4,百年後も変わらない県民性
・素晴らしい県民性
  まじめ、忍耐づよい、親切・・・
・百年たってもマイナスな県民性
  マイナス思考、馴れ合い主義、前例主義、問題意識が低い・・・・・・いっぱいあります。
・なんとか改善を期待したい県民性
  男性中心主義
  思い込みと抱え込みで行動しない消極性
  成功者や努力者を褒め称え真似をしようとしない。

・百年たっても変わらないであろう精神世界
  道徳心や倫理観、公徳心などは普段の生活から自然と身につくサイクルが回っている。
  精神面でのレベルアップが自己努力に委ねられている、その努力を継続できるかどうかで差が  つく。がんばろう秋田県人・
・百年たっても変わらないであろう社会状況
  県庁まかせにせず、地域住民が政治参加しよう。



2013年2月10日日曜日

■寺内史跡案内人講習会


今年度の史跡調査の一つに案内人講習会がありました

1,「寺内の史跡」は池田先生
古い絵図を持参で興味のあるお話でした

受講者は寺内市民憲章役員と秋田城ボランティアガイドの26人

2,「秋田城発掘調査」は伊藤先生
古代の水洗トイレが秋田城にあったことの世紀の大発見をしました!
この度は、南門を発見、なんと東門の1.5倍も野規模とか・・・素晴らしいですね!
3,「秋田城ボランティアガイド」は石川先生
先輩ガイドのお話を伺いました。
まずは説明範囲、説明内容のk純化が必要だこと。
「分からないことは分かりません!」ト答える
範囲外のことは話さない・・・エリア及び個人の好みから!!!

■私の「寺内の田村麻呂伝説」は写真がありませんが、プロジェクター活用で
お話しました。田村麻呂は秋田まで来たか来ないか・・・


4,「高清水の湧水」森先生

今年の調査成果の発表です。
なぜ、高い場所に水が湧くのか
なぜ高清水と言われるのか
なぜ、5,500年も人が住み続けたか・・・・



2013年2月9日土曜日

■ログハウスの歌声喫茶

素敵なログハウスで高齢者の歌声喫茶!!

1,素晴らしいログハウス
秋田市の真ん中住宅街にあるトゥルートゥリーさん。
喫茶とパンの製造販売
2,老人施設が歌声喫茶として
月に何回かの歌声喫茶の場所として利用しています。
素晴らしいですね、木のお家
カナダからの輸入材で作ったログハウスです。青森ヒバに似た肌をしています。

3,オカリナ伴奏で
前回からオカリナ魔女さんがでかけて
伴奏をしています。昔の懐かしい曲を歌っています。

4,終了後パンを買い求めます
歌で元気なのは女性たちです。別途の練習もしているらしく
いっぱい高らかに歌って輪唱までします。
終了後、パンを買い求めます。たくさん買って行きました。

これで、お店も歌声喫茶の場所を提供して喜ばれ、
お店もパンをお茶を飲み、パンを買っていただければ
これでウインウインがなりたちますね!エライ!

2013年2月4日月曜日

◆秋田市寺内の肉を食べない奇習

地域で肉を食べない奇習が続いていた理由

1,秋田市寺内の奇習

u産土の神・古四王神社周辺の寺内衆は禁断の習慣があった
  (高野及び外旭川の一部)
u四足の肉や鳥の肉は食べない。卵も牛乳も一切口にしない。
u大晦日の午前零時から7日間の精進生活に入った。
   (願の内という)
u酒肴もなし。
u町村の人は村に入れない「火を混ぜない」
但し、病気などでどうしても卵を食べなければならない時は鶏卵塔に感謝と供養を祈って、神の許しを得て食べた。


2,恩荷は肉食
①阿倍比羅夫が齶田(あぎた)浦で出会ったのが「恩荷」である。
②「男鹿」の語源にもなった肉食習慣のある蝦夷「恩荷(おん)」が信奉していたのは、「田浦の神」である。                (日本書紀)
③この田浦の「アギタ」もまた、秋田の語源になっている。
④つまり、「恩荷」と「田」両者の関係は、秋田県が秋田県
  たる所以とも言うべき重要なキーワードである。
⑤新潟県から秋田県を中心にみられる古四王(こしおう)の神は
 古四王神社の由緒によれば、元々はその齶田浦の神の
 まいに大彦(おおび)なり武甕槌(たけみかづち)なりが同居
 れたものであるとのことでした。
⑥さて、そのような由来を持つ古四王神であるにもかかわらず
   近年まで氏子には肉食を忌む風習があったとのこと・・・
⑦そもそも肉食習慣を公言する者の信奉する神であったもの
 何故に肉食を忌まれる神に変質しなければならなかったの
⑧そらくは四天王が早い内に消滅したので、氏子にすらその
 本質が忘れ去られていったのでしょう
かと思えば、明治の神仏分離を経た現在の境内案内には
 仏教的要素が消滅しており、当然ながら四天王の面影自体
 など微塵も見えず、ますますもって肉食が忌まれた理由の
 が見えなくなっております。
(恩荷とは蝦夷、蝦夷とは大韃靼人のこと・・・縄文日本人ではないのです!!)

3,古代日本は肉食でなかった

①最近は健康志向で肉食を嫌う人が増えた。
②明治の文明開化で欧米型の肉食を奨励した。
③従来、肉食を嫌がるのは仏教の影響とされていたが、誤りだ
  (仏教を伝えた中国、朝鮮は大いに肉食の国である)

もともと日本が肉食であり、渡来仏教の影響で肉食をやめた
 ととすれば、純日本化しようとする儀式では肉食になるはず。
神社のお祭のご神饌のほとんど米、野菜、魚である。
⑥日本人の肉食ぎらいは仏教の影響とは全く関係ない。
  (仏教が古代の日本文化を取り入れたもの・・他にもあり)

4,肉を食べなかった理由

①日常の食べ物は、穀物は最高であり、次は鱗がついた魚が
  良い、次に鳥だが、鳥は火の要素がまさり、身のエネルギー
  を早く燃焼させてしまい、早く死んでしまう。
②あやまって四本足の肉を食べれば、肉は凝って縮み、肥満と
 なり、身体のエネルギーが減少して毛も抜ける。そのうち死
 でしまう。
③肉を食べたら
  二ヶ月半カブを食え。」



④鳥は日月の霊気が備わっていない。
⑤米は日の霊気、畑の菜は月の霊気が備わっているので、
  霊気を満たすのである。


u寺内は最もよく古代日本
  文化を受け継いできた!!
  



2013年2月1日金曜日

◆工房仕事始め

雪が多かったこともあり、工房がやっとスタート

1,彫り始めます

工房の様子・・・乱雑ですねーー!!
寒くて片付けは・・・と逃げます。
ストーブは反射式、結構暖かいですよ。

2,寺内の史跡看板です

寺内地区市民憲章で進めている事業の一環です。
「藤茶屋跡」と「綾小路跡」の二箇所を彫ります。

3,薬研彫り

最近はかまぼこ彫りが多かったのですが
久しぶりに「薬研彫り」で彫っています。
ノミでクサビ形に掘る技法です。

4,今日の仕事

板の材料は昨年大工さんから頂いた古材です。
階段煮使われたケヤキの古材です。
ケヤキを彫る楽しみは格別です。
彫りやすさ、香り、仕上げの美しさ・・・

今年も多くのみなさまにお届けしたいものです。