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2014年7月24日木曜日

■歴史の改竄(かいざん)は縄文から

常識としての歴史は正しいのでしょうか・・・みんな「ウソ」のようです!!
(とりあえず縄文時代)

1、縄文時代は本当に文化が低かったか

「考古学はまやかし」より
http://ameblo.jp/calseed/entry-11894455636.htmlから

歴史常識的には低いとされている日本の縄文時代や弥生時代の文化度は、実は高かったのではないか、と考え直すようになります。
古代人は横穴式住居や竪穴式住居に住んでいて、縄文時代は狩猟民族、弥生時代は農耕民族と変化して徐々に文化度が高くなって行った、とされている歴史の定説に、どうしても疑問が生じました。
古代は科学技術が現代のように発達していなかったのは間違いないのですが、あの壮健な出雲大社は、太古はより巨大な建物として存在していたことが明らかになっています。重機を使わずして、あれだけの建築物を正確に造る技術とは、我々想像している縄文時代や弥生時代の文化度とは全く異なるのです。

2、貝塚は縄文集落で文化が低い証拠?

モースが、1877年に大森で貝塚を発見して以降、各地で同様な貝殻の堆積物が見つかり、縄文時代の集落の跡とされてきました。
これは事実なのでしょうか?
確かに、貝塚が見つかった場所の周辺には古墳があったり、住居跡があったりと、古代に集落があったことは間違いないと思います。

しかし、貝殻の堆積層が見つかったから、縄文時代は狩猟民族で、文化度が低かったと結論付けていいのでしょうか?

3、「考古学」で洗脳

古代(神代終了後の上代)の人達は、かつての神々を崇めるため神社を創建して祀ってきたのです。江戸時代までは、日本神話は普通に歴史の一環として教えられていたはずです。

ところが、そのことを隠したい阿修羅(増上慢偽明治天皇)は、明治維新を機に、すべての常識をひっくり返すために、歴史も変えていったのです。

その洗脳のツールとされたのが考古学という概念です。

4、縄文時代

阿修羅の目的は、神代を縄文時代に改竄することです。そして、上代を弥生時代に。

そのために、化石として残り易い貝殻の堆積層を貝塚と定義し、文化度の低い縄文時代という歴史概念を創りだしたのです。モース以降、考古学という欺瞞の学問によって、皆さんは洗脳されてしまったのです。哀れな事です。

2013年5月7日火曜日

■「水の湧く丘 高清水」が新聞掲載

2012年の調査成果が「さきがけ新報」に掲載

1,新聞特集記事

寺内地区市民憲章推進協議会として調査を行いました。
秋田市地域づくり交付金事業です


2,成果品表紙

先生方の論文からはかなりわかりやすくしましたが、
地質断面図、模式図・・・でも
やはり一般向けではなかったみたいです。
小学校2校、中学校、高校と地元の学校に贈らせてもらって来ましたが
むずかしようです。

3,地質断面図



4,湧水の模式図
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2013年4月24日水曜日

■さきがけ新報に動画紙芝居が記事に!

さきがけ新報に記事として掲載されました
1,記事「寺内散策」
2013・4・24
2,内容の順序
①,地域の人びとと「寺内の史跡探訪会」実施
②,秋田市からの交付金で「史跡探訪マップ」作成
③,同時に「グーグルマップ」でスマホ片手に史跡探訪が出来るようになった。
④,別途に「動画紙芝居」の手法を確立して、約40本YouTubeにアップしている
⑤,動画紙芝居40本のうち、グーグルマップの史跡探訪とリンクしているのが2本
動画だけなら更に4本あります。

3,「動画紙芝居」が活字となったことがうれしい

動画紙芝居手法が非常に有効なことがわかりましたので、
「動画紙芝居」の名前が認知されることがうれしいですね。
動画紙芝居の作り方はこちらから
http://jundokobo.blogspot.jp/2013/04/blog-post_1823.htmlhttp://jundokobo.blogspot.jp/2013/04/blog-post_1823.html
②番です


4,これをきっかけに人生論も!
動画紙芝居の会心の作は
般若心経が心から納得、理解出来ます!!
http://youtu.be/ShGu3Uyavqs


































































2013年2月27日水曜日

■高清水の湧水調査完成!

寺内地区市民憲章推進協議会役員として秋田市の交付金事業で行った
高清水地区の湧水調査報告書が完成しました。

昨年の「寺内史跡探訪マップ」に続く「水の湧く丘 高清水」として
地表の歴史、その歴史が5,500年も続いていることを
地下湧水調査を通して解明しました。

報告書掲載します









2012年10月23日火曜日

◆将軍覗きに将軍様設置

裏山が古図に「将軍覗き」とあります。そこに将軍様を設置しました。

1,将軍様登場!!
兜をしめた将軍様の凛々しいお顔!!!
顔は漁船用の浮き(ブイ)です・・・・古くなっていいお顔ようになりました??

2,秋田の中心部を見ています
高台(高清水の岡30m台地)から市の中心部方向を眺めています。

3,古地図に「将軍覗き」
古図に将軍覗きと記されています。ここがわが「こもれびテラス」がある裏山です。
将軍覗きの将軍様とは誰でしょうか??
ここ高清水の岡一体は田村麻呂伝説が有るところです。
田村麻呂が大嶽丸を追って、ここで戦をして退治したのです。
その時田村麻呂を探したのがここなのでしょうか?

4,田村麻呂伝説とは

田村麻呂の大嶽丸(鬼)退治の動画紙芝居を載せます。






2012年9月13日木曜日

◆シルクロード2000年前の木工技術

エリアなかいちの賑わい交流館でシルクロード写真をみてびっくり!



1,2000年前の棺

解説によれば「出土した棺を、地下の墓室から運び出す。この保存状態のよさ。
2000年の時をヘタものとは思えない」



2,楔工法がある!

シルクロードですから乾燥の土地です。木の棺が腐らないことは驚かないことにして。・・・・
なんと、棺は楔でつなげているのです。写真の中央に三つ見えます。
3,小口はよく見えます

小口(ヨコからでなくタテ方向から見て)には、もっとよく見える楔が打たれています。
楔とは板どうしをつなぐためのものです。楔型というより、鼓型といったほうがいいでしょうか。
2000年前にこうした技術もあったのですね。

4,私の楔作品

秋田市の組合病院への寄贈作品です。
秋田杉の一枚板ですから、乾燥で割れてしまった作品を、楔で補修したものです。
この工法が、2000年も前に中国では行われていたんですね・・・すごいですね!やはり。






2012年8月8日水曜日

◆墓掃除で仏教を考える

お盆前の墓掃除に行きました。田舎にあります。



1,墓地入口

我が家の墓地の入り口です。これがアプローチですから大きさは推し量ってください。
ありがたいご先祖様がいまして、まる一日がかりの掃除です。我が家は曹洞宗です。
































2,これだけの道具が必要です

これを全部使います。




















3,コケも格別

掃除が終わったら、コケも風格があって格別です!



4,でもねー

・仏教とはなんでしょうか
・本当にお釈迦様の教えなのでしょうか
・仏教の経典は何でしょうか・・・一杯有るのですがどれを読めばいいのでしょうか
色々書いてあります
・この本だけでなく、仏教とは何か、葬式仏教はいらない・・・などなどお寺さんも大変な過度期ですね。


・我々も高齢者になって来ました。いつまでも墓掃除ができるかわかりません。子どもたちが管理していけるとは考えられません。
そもそもこんな大きな墓地が必要でしょうか、大きさよりもお墓自体が何なのかという説もありますし、仏教に対する考え方をしっかり持たないといけないと思っています。


























2012年6月17日日曜日

◆秋田ユネスコ協会の寺内史跡探訪会

秋田ユネスコ協会の寺内の史跡探訪会の企画・運営・解説を努めました。



1,






















2,パンフ



















































3,古代の水洗トイレ

秋田城調査事務所の伊藤先生が、政庁跡から古代トイレまで約一時間、熱気あふれる解説で秋田城のことが良く理解できました。
渤海使節が利用した、豚肉を常食する人々の痕跡が発見された、歴史的発見であった!!




















4,木造の五百羅漢像
午後の西来院では、木造の五百羅漢像を拝見、今は百体ほど。
今回は見ていませんが文化財の「釈迦涅槃図」もあります。
私にはこちらの木造の五百羅漢のほうが魅力的です。観光素材としても文化としても。和尚さんはそれほどにも感じていないようですが・・・。









2012年1月29日日曜日

■秋田県の地震発生と鬼壁山

秋田県の内陸南部大仙市強首(鬼壁)周辺で地震が多く発生しています・・・地球画で検討!

1,地震発生分布図
この図は秋田さきがけ新報2012・1・21に掲載されたものに加工したものです。
東日本大震災後の県内で貼っっ制した地震分布図です。赤丸部分が特に活動が活発な地域です。強首地震と陸羽地震の震源域に挟まれたエリアで集中的に発生していることがわかります。
2,地球画で秋田県を見る
地球画(衛星写真で地球をよく観察すると人間の顔が見える)とは地盤調査野第一人者渡邊広勝さんが発見したものです。
地球画で秋田県を見ると高清水の丘が「髪を振りかざした人物(神?)」と大仙市の「鬼壁山」が表れます。



3,高清水の丘の人物
【渡邊広勝さんのコメント】
秋田城は何か恐ろしく怒った顔が存在し、髪の毛が怒髪として経ちあがってい
るのが見えます。
現代は開発で基本地形が壊されていますが、それでもこの様に高空から観察す
るとみごとにこの地に建造した古四王神社の存在が分かります。
縄文時代周囲は海か干潟でした。天空に現わされる地の神は怒りを持って鬼
壁山を見つめています。とうじ恐らく鬼壁山周辺は地震の巣として認められて
居たのでしょう。人々はこの丘陵を整形し神の顔としました。ここを信仰する
ことにより地震を押さえてもらうよう願ったのかもしれません。
そのご海水面降下とともに稲作が盛んになります。

鬼壁山も平穏になり東北地区支配の為に秋田城が作られます。
城内の池は眼の形に作られていると見られます。
そしてあご髭の長い仙人の姿が現れます。図は現代の建物を緑で埋めました。
秋田城の池は眼の形をしていたも
のとみられます。 今度よく見てみたいです。蝦夷の土着の神は地球画から導き出される、おおいなる神だったのです。
後の支配者(日本書紀)はこの神を蝦夷安定のために利用したのでしょう。
秋田県の中央との戦いが、岩手県等に比べ比較的早く終わっているのはこの神
社を当時の中央政府が利用したと思われます。
阿部比羅夫や坂上田村麻呂が蝦夷を統治するにあたり、この神社が利用された
と思われるのです。
























4,鬼壁山
標高380mの山ですが、ご覧のように急な山です、尖っていますから国道46号からも目立ちます。昔から近くに道路を作りましたし、麓に尊敬するお方もおりましたから縁のあるところです。
【渡邊さんのコメント】
天空に現わされる地の神は怒りを持って鬼
壁山を見つめています。とうじ恐らく鬼壁山周辺は地震の巣として認められて
居たのでしょう。人々はこの丘陵を整形し神の顔としました。ここを信仰する
ことにより地震を押さえてもらうよう願ったのかもしれません。


















2012年1月28日土曜日

■寺内史跡探訪マップ完成

秋田市の住民で作成中だったマップが完成しました。これぞ、まちづくりの「御用達」です!

1,寺内史跡探訪マップ完成
マップが完成しました。
「寺内は史跡の宝庫といわれ、縄文時代から近代まで数多くの史跡が存在します。寺内地区市民憲章推進協議会では地域活性化の一貫として、平成23年の春と秋に『寺内の史跡探訪会』を実施したところ大勢の地区住民の参加があり、地域の歴史・史跡の深さを実感したところです。
そこで今回、探訪会の資料を活用して、もっと多くの市民から寺内地区の史跡等を知り、訪れてもらいたく「寺内史跡探訪マップ」の制作を企画したものです。なお「寺内史跡探訪マップ」は「秋田市の地域づくり交付金事業」を活用して制作したものです。




























2,マップ表面
マップはA2版、1,000部作りました。
表面は寺内の史跡全部を表したものです。縄文時代から近代まで46遺跡が位置および概要が書かれています。マップを片手に史跡探訪ができるようにしました。

































3,マップ裏面
裏面には、寺内の歴史年表と「史跡 秋田城」としました。
秋田城跡の最新の資料が掲載されたマップとなりました。































4,「寺内史跡探訪マップ」の特徴
マップには次のような特徴があります。
①寺内の史跡が全部記載されている。
②その史跡を全部現地でピンポイントで探訪できるます。
③秋田城を大きく、最新情報で記載しています。
④寺内の特徴である、縄文時代から、古代、中世、近世、近代と分類しています。
⑤これからの、散歩コースや、昔の城巡り、坂上田村麻呂伝説コースなどを選んで探訪ができます。

この方法が、経済アナリスト藤原直哉さんがいうところの「御用達経営」にあたります。まちづくりの御用達(ごようたし)ですね。



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