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2014年3月25日火曜日

❏奇跡の村「長野県下條村」

奇跡の村・長野県下條村のこと

1,遠い小さな村

全国の自治体関係者が「奇跡の村」とまで呼ぶ、小さな山村に行ってきた。長野県下條村だ。これまで何度も訪れており、今回は4年ぶり。やっぱり、東京からは遠かった。長野県最南端の下伊那郡の中央に位置する下條村の人口は、約4100人。飯田市から車で30分ほどだが、その飯田市まで新宿から高速バスで約4時間20分かかる。タクシーで村役場に向かうと、運転手さんが「ここは交通の便が悪く、本当に陸の孤島です」と、自嘲気味に語った。
2,職員の意識改革
伊藤村長が最初に手がけたのが、職員の意識改革だった。全職員を民間企業に研修に出したのである。送り込んだ先は、直接顧客と接する物品販売の店頭。自分たちのペースでゆったりと仕事をこなす役所と正反対の職場であった。当時、公務員を民間企業で研修させるという事例はほとんどなく、物議を醸すことになった。 それでも、民間の厳しさを体験したことが、下條村職員の意識を変えることにつながった。職員はやる気やコスト意識、スピード感や効率といったものを身につけるようになり、役場全体の雰囲気も変わっていった。ぬるま湯に浸りきった「お役所仕事」が消えていったのである。

3,資材支給事業
その1つが、1992年から始まった資材支給事業である。これは、村道や農道、水路などの整備を住民自らが行い、村はその資材を支給するというユニークな事業だ。92年の村長選で初当選した伊藤喜平・村長が打ち出したもので、奇跡の村への第一歩となる重要施策であった。自分たちの地域の課題を自分たちが額に汗して改善する――。それがごく普通のことだった。 ところが、今は何もかも行政にお任せとなっている。それどころか、「我々は税金を払っているのだから、行政サービスを受けるのは当然だ」と考える人も多く、行政への要求はアレもコレもとエスカレートするばかりである。 こうした行政への過度の依存の流れを断ち切ろうというのが、資材支給事業であった。もちろん、行政コストの縮減につなげたいとの狙いもあったが、一番の肝はこちらだ。
 それでも「村がコンクリートや骨材などの資材を提供するので、地域の小規模な土木工事は住民自らが額に汗してやってください」というお願いである。反発する村民もいて、実施に至るまで半年間ものスッタモンダがあった。
4,国の補助金なしの合併浄化槽
下條村は極めて冷静だった。下水道事業に最低でも43億円かかるとそろばんをはじいた。集落が山間部に散在する下條村は、事業の効率化が図りにくい悪条件下にある。管渠の敷設に1メートル約10万円かかるなどイニシャルコストは高額に上り、さらに、ランニングコストも未来永劫増え続けることが見込まれた。
 国から補助金をもらっても、事業費の半分は村の借金となる。元利償還金とランニングコストが将来、小規模自治体の財政を揺るがすことになると危惧したのである。
 こうして下條村は管を張り巡らす公共下水などではなく、村全体を合併浄化槽1本でいくことを決断した。合併浄化槽の場合、設置する各世帯に負担金と管理責任(水質検査や保守点検、清掃など)が生じるため、村は独自の補助制度を新設して支援することにした。
1992年から下條村を牽引する伊藤喜平村長は、「全国の自治体が強固になれば、日本は強固になります。その自治体の体質を強くできるのは、住民であり、住民の責任でもあります。住民が自治に是々非々の姿勢で積極的に関わり、住民の力で自治体の力を引き出していかないといけないと思います」と、持論を語ってくれた。
 日本の山奥に出現した「奇跡の村」は、1人の卓越したリーダーの力ではなく、住民の総力によってつくり上げられたものである。住民自らが動き出さない限り、どんなにリーダーが卓越した人物であっても「奇跡」は起こせない。

2012年12月20日木曜日

◆2012こざくらリース祭り

秋田市児桜町内会が進めている町内をリースで飾ろう!

2012こざくらリース祭り
クリスマスリースづくりとして始めていますが、お正月も、小正月までも
という意気込みで
「2012こざくらリース祭り」がスタートしています!!

25戸34作品が飾られています(全体戸数81)
玄関
車庫
町内案内板
空き地のブロック塀

うれしい町内、楽しい町内です。

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2012年6月29日金曜日

◆町内ゴミ置き場屋根改修

ゴミ置き場の屋根改修工事が順調に進んでいます!



1,骨組み完成

骨組み工事まで完成しました!
ゴミ有料化に伴う、秋田市の補助事業として行なっています。
7月1日直前のゴミ出しの日でしたから、ごらんのとおり満杯になっています。
屋根は仮の対応ですから、七夕頃にはすべてが完成します。




















2,3人でしたが!

朝から3人ではじめていました!




















3,パイプの組立

パイプの屋根工事ですから専門的です。町内の大倉電気さんが総合指揮です。




















4,大勢の会員が参加しました。

6月にしては暑い日でした。連日の作業には7人が参加していただきました。
ありがとうございます。


2011年12月19日月曜日

■秋田市で映画をつくる話

映画監督と脚本家による秋田で映画をつくる話・・・から




1、映画「ヴァカンス」製作
大館市出身の映画監督長澤雅彦氏と脚本家狗飼恭子氏のトークセッションがありました。
秋田市の千秋公園を中心として、20代の女性が記憶喪失に落ちいって・・・のストーリーだそうです。
本年の8月にクランクインして、3月に配給予定でしたが、幹事会社の都合(結局はお金に係わりますから儲からないと思ったのでしょうか?)で休止状態になっている。




















2、映画製作にかかわる相関図
映画をつくる場合に係わる人々の関係は下図の通りだそうです。
地元が協賛だけでなく、相関図の一員として参加する方法もある。その方が主体的に動けて、ネットワークも広がる。赤の部分・・見えづらいでしょうが・・・企業体として参加することです。10社が50万円づつで、10社で500万円とか。





















3、心意気
さて、映画作りをやるためには、次の段階があります。
①昨日の段階です・・・いいメンバーであるし、是非ともやりたいなあ・・・・・今日は100人もの若い人が集まった。県も秋田市も商工会も担当者が来ているし、誰かがやるだろう!!
たぶんこれで終わるでしょうね・・・・
②お手伝いする・・・映画監督が東京の幹事会社と話を進めて、やることが決まったら組織を作って応援します・・・お手伝いしますとお客様の状態ですね・・・これが県も市も商工会もこの程度。
③いや、ここまで監督が頑張ってくれている、今日はこのくらい関係者が集まった、黙っていることは出来ない。俺たちがやろう!!県も市も商工会もけしかけて動かしてやってやろうじゃないか!!・・・ないわけではない!























4、バルセロナに学ぼう
すごかったですね!サントスを子ども扱いでした。
こんなすごい集団が自由自在に動き回る、そしてまた切れ味の鋭さ・・・。
メッシもすごいが監督が素晴らしいですね、こんなメンバーを自在に使いこなせるのですから。
これがヨコ型リーダーシップの典型でしょうか。
我がリーダーたちももっともっと勉強してほしいものです・・・もう無理でしょうか、代わるしかないのでしょうか!!

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2011年9月25日日曜日

■アイパッドで「寺内の史跡」を!



アイパッドでグーグルマップで作った「寺内の史跡」」を見るようにしたい!!



1、アイパッド

これが噂の(もうそうでもないですか)アイパッドです!



















2、アイパッドで見えました!

これです「寺内の史跡」が見えてきました!




















3、アップもできます

インターネットだから当然ですが!!
これで歩けますね!




















4、説明も!

史跡の説明文も明瞭にわかります。これもとうぜんですが!!
スマートフオンやアイパッドで見て史跡巡りが出来るようにすりことがこれからの目標です!
出来そうです。



2010年3月15日月曜日

■秋田の歴史を「深く耕す」

秋田さきがけ新報に石川好さんの「秋田の歴史を耕そう」が掲載されています。

1、秋田の歴史を耕そう









































■要旨は
①横手市の大鳥井山の山城発見が素晴らしいものとニュースとなった。
②文書に残らなかった歴史が東北にはあった。歴史についての見直しが必要でしょう。
③「遅れている」と無自覚な秋田県民はどう理解し、生かして行くか。
④秋田県内の歴史遺跡を耕してみれば、可能性としての秋田の未来が現れる。
秋田に自信と誇りを蘇らせよう!!

2、児桜町内子ども会「児桜貝塚跡調査」
なぜ児桜町内会は(子ども会中心ですが)縄文時代の児桜貝塚跡調査を行ったか。
それは行政の発掘調査は天平時代の秋田城址が目的です。中央政府がわれわれ蝦夷(エミシ)つまり縄文の昔からここに住んでいた人々を征服した頃の調査なのです。だからわれわれは、我々の住む児桜の丘に、縄文時代にすでに集落があり生活していたことを深く調べたくなったものです。


























3、刻字作品「耕してやまず」











私の巡堂工房作品に「耕不尽」(たがやしてやまず)があります。
その前の大館市の実業家Kさんには「深耕」を希望され彫って差し上げてあります。

石川さんと同じく、すべてのものを今より更に深く掘り下げて行けば、必ず原点に立ち返ることが出きて、今ある壁を突き抜けることができるのです。
そして、その継続です。耕してやまず!!

4、東北縄文文化研究会も同じ目的です
私のもう一つの顔は「東北縄文文化研究会」主宰です。特に鹿角市のストーンサークル、クロマンタが中心です。東北の縄文時代は律令国家が国をあげて歴史を封印したものです。たとえば「田村麻呂伝説」というのがあります。岩手県でアテルイと10年戦争をしてついに捉えた大将軍ですが、実は岩手県真でしか来ていないのに、山形県にも、秋田県にも、青森県にも来た事になっています。しかも来てない各地に神社が一杯建っています。

教え込まれている常識というのは本当にアテにならないのです。歴史を深く耕すことで、その常識の壁を突き抜けて良ければ明るい未来がひらける、と石川好さんは言っているのですね。

ますます、「東北縄文文化研究会」もやる気がでてきました。

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2010年2月19日金曜日

■成功の方程式と秋田中央街区再生

秋田市の中央街区再開発について、魁新報が伝えるには、県議会建設交通委員会の事業組合との意見交換では「熱意が感じられない」とありました。


1、中央街区の再生は三本柱の一つ

私が15年以上も前に、県都市計画課の責任者として携わっていた大プロジェクトなのです。当時は「秋田都心軸構想」といいまして、三本柱で構成されておりました。
①中央街区の再生(婦人会館跡地の再開発)、
②地下道路の建設(これだけは中央道路として開通済み)
③歩行者ネットワーク(秋田駅から大町まで、千秋公園も)

中央街区の再生は、15年以上前から同じことを議論していました。


2、地元の熱意が感じられない(新聞報道)

さきがけ新報さんの報道では、建設交通委員会の再開発組合との意見交換でも「熱意は感じられなかった」とあります。












3、成功の方程式からみると

有名な稲盛和夫さんの成功の方程式というのがあります。
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成功の方程式
成功=  熱意 × 能力×考え方
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①能力は、最低0点から最高100点までの範囲がありますが、これはみなさん問題ありませんね。
②考え方は、最低マイナス100点から最高プラス100点の幅があるということです。
考え方がネガティブであれば、結果もネガティブ、つまりマイナスになるとうことです。
これも、まさかマイナスな考えがあるとは思いません。世のため秋田のためと思って事業に向かっているものと考えます。

③熱意は、何よりも大事なことです。
やってやってやり抜く、これ以外に秋田市の再生はない。自分たちの生きる道はない、だからやってやってやり抜こう!!


4、秋田市注街区の再生はあるか

成功の方程式から、「事業の主体者から熱意が感じられない」となれば、これは最初から結論が見えていますね。
関係者全員からの②能力③考え方  についても問題ないわけでは当然ありませんが。こちらは新聞報道で御覧下さい。熱意だけとってもこのとおりなのです。



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2010年2月15日月曜日

■ブルーホール酒蔵の骨組み

秋田県潟上市のブルーホールは小玉醸造という酒屋さんの建物です。それを中村征夫さんのギャラリーに改造したものです。
木造倉庫の柱組はおもしろいものです。


1、倉庫の柱組























2、中村征夫さんの写真

ウエルカメさん??


3、ここがおもしろい
この梁の太さ!


4、梁からはみ出て載っている





























2010年2月14日日曜日

■中村征夫&紺野美沙子トークショー

秋田県潟上市のブルーホールのトークショーに行ってきました。


1、ブルーホールとは

 美しい田園風景が広がる、私のふるさと潟上市。その一角に、私の常設ギャラリーブルーホールが2009年11月7日にオープンしました。酒の国秋田を代表する銘酒「太平山」の小玉醸造その酒蔵の雰囲気を維持しつつ、まるで深海を漂うかのように素敵な海の空間が広がります。


中村征夫さんの写真



2、トークショーに300人

会員ですので前の席にとのことでしたが、ひとり分ですので、魔女と共に後の席に座りましたが、この通りの満席です。トークショウーの最初ですから・・・秋田ですから。最初はこの通り一杯集まるのです。



300人の聴講と酒蔵の中











3、対談のおふたり

もちろん感動のお話がありました。魚とどうお友達になって写真を撮るか、環境の問題、子どもたちが生きる力を失っていることなど・・・。


















4、輝いていました


紺野美沙子さん美しいですね、どこで見ても隙がないのですねーーー、中村征夫さんも(上の方が) おふたり輝いていました。




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2010年1月31日日曜日

■三鷹の森ジブリ美術館のコンセプト

まちづくりとして取り組みたいものだが、私に今出来ることは「ロハス・こざくらの丘」です。小さいことですが、「こざくらの丘」にこのコンセプトを取り入れ、すぐにでも実践しようと決意しました。


(はりつけ)

こんな美術館にしたい

おもしろくて、心がやわらかくなる美術館
いろんなものを発見できる美術館
キチンとした考えがつらぬかれている美術館
楽しみたい人は楽しめ、考えたい人は考えられ、感じたい人は感じられる美術館
そして、入った時より、出る時ちょっぴり心がゆたかになってしまう美術館!

おもしろくて、心がやわらかになる「こざくらの丘」、いろいろなものを発見できる「こざくらの丘」

楽しみたい人は楽しみ、考えたい人は考えられ、感じたい人は感じられる「こざくらの丘・雑木林」

そして、入った時より、出る時ちょっぴり心が豊かになってしまう「こざくらの丘」

そのために、建物は
それ自体が一本の映画としてつくりたい
威張った建物
立派そうな建物、豪華そうな建物、密封された建物にしたくない
すいている時こそ、ホッとできるいい空間にしたい
肌ざわり、さわった時の感じがあたたかい建物にしたい
外の風や光が自由に出入りする建物にしたい

運営は
小さな子ども達も一人前にあつかいたい
ハンデをもっている人にできるかぎり配慮したい
働く人が自信と誇りを持てる職場にしたい
道順だの、順路だのと、あまりお客さんを管理したくない
展示物に埃がかぶったり、古びたりしないよういつもアイデア豊かに、新しい挑戦を続けたい
そのために投資を続けるようにしたい

展示物は
ジブリファンだけがよろこぶ場所にはしたくない
ジブリのいままでの作品の絵が並んでいる「おもいで美術館」にはしたくない

みるだけでも楽しく、つくる人間の心がつたわり、

アニメーションへの新しい見方が生まれてくる場所をつくりたい


美術館独自の作品や絵を描き、発表する、
映像展示室や展示室をつくり、活き活きと動かしたい
(独自の短編作品をつくって公開したい!)
今までの作品については、より掘り下げた形で位置付けて展示したい


カフェは
楽しみ、くつろぐための大事な所として位置付けたい
ただし、多くの美術館のカフェが運営困難になっている現状からも安直にやりたくない
個性あふれたよい店を、まじめにつくりあげたい

楽しみ、くつろぐための大事な場所としてのカフエは必要ですね。


ショップは

お客さんのためにも、運営のためにも充実させたい
ただし、売れればよい式のバーゲン風安売り店にしたくない
よい店のあり方を模索しつづけたい
美術館にしかないオリジナルグッズをつくりたい!

幸い、家族すべてが手作り作品の作家です。
こざくらの丘にしかないオリジナルグッズとして販売もできます。

公園との関係は
緑を大切にするだけではなく、10年後にさらによくなるプランをつくりたい
美術館ができて、まわりの公園もゆたかになり、公園がよくなって
美術館もよくなったといえるような形と運営を探し見つけたい!

こざくらの丘は風致地区にあります。こざくらの丘のおかげで高清水公園全体の波動が上がって、よくなったといわれるようにしたい。

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■にぎやかな「谷中銀座」

今商店街はどこもたいへんな衰退ぶりですが、谷中銀座だは元気だという情報で出かけました。


1、谷中銀座
私が習っている、腹式呼吸法「調和道 丹田呼吸法」の道場があるすぐ近くです。日暮里駅から近いですね。

坂の上から、ゆるい階段がまたいいですね!















2、商店街風景
日中でしたが、にぎやかだそうです。
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(はりつけ)

*** 谷中銀座商店街 ***

東京には、「**銀座商店街」と言うところが相当数ある。
今の世の中、スーパーやコンビ二が増加し、どこの商店街も寂しいところが多い。
だが、この「谷中銀座商店街」は今も健在。
夕方(16時ごろ)の混雑は、近所の奥様方で大混雑です。

ここは、原宿や渋谷にはない下町独特の臭いみたいなものがある。
昭和のはじめ、日暮里駅の近道横丁として道幅2mほどにお店が、
10軒ほど並んでいたと言う。
戦後、今の道幅に拡張され約70軒のお店が並んでいる。

お惣菜・魚・肉・八百屋・花・文房具・雑貨・お弁当・本・電気・薬・お茶・靴屋など、
お店の看板は「切り絵」や「木の看板」を掲げ、雰囲気ある商店街となっている。
最近、猫が屋根の上で日向ぼっこしたり、芸大生の作る猫が数匹いて可愛い!

16時頃は、買い物のお客さんで混雑し容易に通れません。 
この道幅、商店街にはぴったりと思う。
あまり狭くても広すぎてもいけないはずなのだ!
















3、100円ショップにも手づくり看板

商店街すべてのお店に手づくり看板がありました。なんと100円ショップにまで。
















4、谷中商店街マップ


全てに看板があり
それを見るだけでも
楽しいですね。





















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2010年1月30日土曜日

■さすが!道の駅十文字


噂の道の駅十文字に行ってきました。なぜ噂かといえば、産直だけでも秋田県内で不動のトップだったドラゴンを抜いて一位になったことです。

1、なんと魔女さまが普段の3倍買いました
















2、なぜ売れるのでしょうか

・確かに品ぞろえがすばらしかった。普通のものとは違う楽しさがある品ぞろえ。買いたくなります。
・何よりも不思議だったこの光景。赤いエプロンの男性、キノコのホットプレート料理をしながら、お客に話しかけます・・・。別のキノコを買ってくださいというのではありません。語りかけ、にぎわいを作っているようなのです。もう一人のエプロンさんも新しい野菜の説明をしています・・・。同じなのです。

















3、トップになった秋田さきがけ新報記事























4、トップのモットー
トップの小川健吉さんは、元十文字町長、
全てはリーダー次第。小川さんの販売スタイルを引用しました
(貼り付け)














■道の駅の販売スタイル


「道の駅 十文字(以下、十文字)」の年間売上げは、今年2億2千万を超えました。
しかし、この驚異的な数字は、一朝一夕でできたものではありません。
小川さんの販売のスタイルは、
「とにかくしゃべる」ことだそうです。
社員にも、「暇があったらしゃべれ!」と常に言われているそうです。
(普通のお店だったら黙って黙々と働く事が美徳とされますが、、、)
なぜしゃべるのか?、小川さんは言います。
「直売」というのは、本当は
農家と消費者が直接やるべきことなんだ、と。
つまり直売所がやるべきことは、農家の代わりに、農家の想いを消費者に伝えること、
これが全てなのです。
ですから、商品について熟知していることはもちろん、その素材を使った料理のレシピなども
教えてくれることもあるそうです。

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(まとめ)
・これでよく理解できました。すべてリーダー次第ですね。
・そのほかに共用スペースでのイベン(行事)トを常に開催。ボランテイアさんがたくさんいて「活気があってとても楽しい、生きがいがあります」と語ってくれました。

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