菅江真澄の水の面影現代語訳完成に伴う解説
3, 地誌編集への過渡期の著作
現在知られている原本は、その上巻だけで、体裁は、半紙判、全二一丁。図絵はない。二つ折りの半紙を紙こよりで綴じた仮装本で、表紙の中央には、
直接真澄の筆で「水ノ面影 上」と記される。
漂泊当時の真澄の日記には、携帯に便利な小型判(美濃紙半裁二つ折り)に仕立てられているが、秋田に定住するようになった文化九年以後は、同年七月の日記《つきのおろちね》をのぞいて、すべて半紙判にまとめられている。同じとしの春に書いた《みずのおもかげ》が、はたして小型判の体裁に清書されたかどうかは今のところ疑問である。ただ推測されることは、後述のとおり、最初の日記体の形式ではなく、題条を設けた地誌の体裁で、後年改めて、《みずのおもかげ》を書こうとしているが、しかしそれは結局未完成に終わったように思われる。
《みずのおもかげ》上巻を、真澄はまず、二月初め、および三月初めの、二日間の日記のようなまとめ方で書いているが、これは従来の日記体裁とは異なり、狭い地域の古事来歴を詳しく探索するために、その前後、多くの時日を予備調査にあてるという新手法を用いている。従ってむしろこれは、日記から地誌編集へ移行する過渡期の著作ということができよう。
解説は内田武志さん
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