2014年1月12日日曜日

❏「権現舞」がやってきた

正月2日の鹿角大日堂の「大日堂舞楽」その権現舞!!

1,玄関の権現舞・・・彫刻

勝平得之の彫刻写真からとって巡堂工房が彫ったものです。たぶん彫った材料は大日堂舞楽
よりかなり古いものだと思います
何しろ秋田杉の埋れ木ですから2,000年以上はなります
年間を通して架かっていますがお正月はやはり格別です!!!


2,大日堂舞楽のうち権現舞とは

民俗芸能秋田県鹿角市八幡平字小豆沢(あずきざわ)の大日堂(大日孁貴(おおひるめむち)神社)で,1月2日に行われる祭事芸能。小豆沢,大里谷内,長嶺の4集落の能衆によって舞われる。能衆は世襲で,それぞれの集落に所伝の舞がある。当日午前2時ごろ能衆は舞台元などと呼ばれるそれぞれの村の宿に集まり,水垢離(みずごり)潔斎のあと所伝の舞を舞い,暁前に行列を組んで大日堂に向かう。籾(もみ)押し,幡(はた)揚げなどの行事ののち,午前8時ごろから舞楽が堂内中央の舞台で執行される。
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天の神を礼拝する神子舞、地の神を礼拝する神名手舞がすべての集落の能衆によって
代わる代わる、各合計10回が舞台で舞われ、やっと、本舞の時間に。
9時40分に阿部さんたちの権現舞が始まった。
約10分間のなかで獅子頭を頭上に掲げながら舞う動きの時間は、
本舞が一番しんどいという。
なぜならばここにたどりつくまで寒さの中、
出立装束と足は足袋に鞋靴のままで過ごし、
合計8kgもある獅子頭を持って深夜から既に10回も権現舞を舞っているのだから
疲労していないわけはない。

3,一般的な権現舞とは

権現舞はその神仏法力により、人々にふりかかる災い祓い五穀豊穣無病息災など、人々のあらゆる願い受け入れ安泰祈祷するです。
降臨請うために、とすずを持って舞う「した」。舞手は、「神様降りてくる」という気持ち舞い同時自分自身気持ち高ぶりをも感じていくといいます。
やがて、降り獅子頭一体となり、打ち鳴らしながら権現始まります。
米上げは、「あげものほめ」といわれる儀式執り行い供えられた五穀お神酒
お花などを褒め讃えます。
米上げ手桶四方振りかけ、今度はひしゃくをにくわえた権現様舞い
火災防ぐ火伏せ」の祈祷行います。
また、参列者権現様をくぐる「胎内くぐり」と権現様噛んでもらう「かじり」は、災難疫病退
させ、払い子ども達無事成長祈ります。

4,獅子頭とは

起源[編集]

多くは大陸からもたらされたとされているが、起源は中国説やインド説など各説あり定かではない。

日本の獅子舞[編集]

日本の獅子舞は、全土で行われておりバリエーションは多岐にわたる。大きく分けて、伎楽(ぎがく)系の獅子舞と風流(ふりゅう)系の獅子舞がある。獅子の頭部(獅子頭:ししがしらと呼ばれる)は製が多いが、和紙による張子のものや最近では発泡スチロールによるものもある。舞方は諸流派があり風流系(ふりゅうけい)、神楽系(かぐらけい)などが知られるが、他にも多くの舞があり同じ物は二つとないとも言える。

伎楽系の獅子舞[編集]

神楽の獅子舞 (長谷寺門前町初瀬にて)
伎楽系(神楽系)の獅子舞は西日本を中心として全国的に分布し、胴体部分に入る人数で大獅子、中獅子、小獅子と区分される。大獅子では獅子を操作する人以外に囃子方も胴体に入って演奏する。小獅子では、獅子頭を操作する1人だけが胴体も兼ねる。正月に見る獅子舞や神楽での獅子舞をはじめ、一般に獅子舞というとこの系統の獅子舞を指すことが多い。起源は大陸から伝来したものと考えられ、現在の中国獅子舞とも繋がるものと考えられる。

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