2014年3月31日月曜日

❏田沢湖の御座の石神社と要石(1)

田沢湖の御座の石とは何かと調べていたら鹿島の「要石」と同じと出てきた!

1,田沢湖の湖畔

田沢湖は丸い形と思っていたが・・・丸でなく、矢じりのような形ですね。
御座の石神社は矢じりの先の方です。


2,御座の石神社

御祭神 事代主神、綿津見神、龍子姫神



御座石神社の創建は600年前の室町時代、熊野修験僧が御座石付近を修験の場と定め祠を建てたのが最初とされています。
あくまで推察ですが、御座石神社の御神体は背後の高鉢山で中腹には鏡石(辰子伝説でも辰子がこの石を見て服装や髪を整えたと伝えられている)が祭れれています。
田沢湖自体、当時は透明度が高く、高鉢山も神奈備型をしています。
それを繋ぐ中腹には鏡石やかなえる岩などの巨石、岸に御座石があります。

3,鳥居

朱の鳥居が立っている平らな 『御座石』 というのは、岩礁地帯の名前で、慶安3年(1650年)に
秋田藩主佐竹義隆公が田沢湖を遊覧した際、腰をかけて休んだ場所として知られています。

と言われていますが・・・信じられません!佐竹の殿様がそれほど愛されていたとは思えないから。

それはそれとして、鳥居は私が初めて見た時は20~30mも湖に出ていたのです。

多摩川毒水を入れてから、また季節風の影響で侵食されたものです。



4,要石との関係

跡でもっと詳しく書きますが
御座の石とは要石のことである
有名な鹿島神宮の要石とは

「揺るぐともよもや抜けじと要石の 鹿島の神のあらん限りは」
地震を抑える要石のことです。

御座の石とは要石のことだと
1366年(貞治五)成立の詞林采葉集(しりんさいようしゅう)は、万葉集の注釈書で滝沢遊行寺の僧由阿(ゆうあ)の著書、その巻五に次のような記述がある。
およそ我が朝を藤根の国と申すとか。これ即ち鹿島の明神が、金輪際から生え出した御座(みまし)の石の柱であり、第二に、その石によって(日本国)は繋ぎとめられたと申すゆえなのである。

田沢湖の鏡岩です。この鏡岩に突き刺さっている
六角形の石こそ「要石」ではないかとの推論です!!


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