地域で肉を食べない奇習が続いていた理由
1,秋田市寺内の奇習
u産土の神・古四王神社周辺の寺内衆は禁断の習慣があった
(高野及び外旭川の一部)
u四足の肉や鳥の肉は食べない。卵も牛乳も一切口にしない。
u大晦日の午前零時から7日間の精進生活に入った。
(願の内という)
u酒肴もなし。
u他町村の人は村に入れない「火を混ぜない」
但し、病気などでどうしても卵を食べなければならない時は鶏卵塔に感謝と供養を祈って、神の許しを得て食べた。
2,恩荷は肉食
①阿倍比羅夫が齶田(あぎた)浦で出会ったのが「恩荷」である。
②「男鹿」の語源にもなった肉食習慣のある蝦夷「恩荷(おんが)」が信奉していたのは、「齶田浦の神」である。 (日本書紀)
③この齶田浦の「アギタ」もまた、秋田の語源になっている。
④つまり、「恩荷」と「齶田」の両者の関係は、秋田県が秋田県
たる所以とも言うべき重要なキーワードである。
⑤新潟県から秋田県を中心にみられる古四王(こしおう)の神は、
の古四王神社の由緒によれば、元々はその齶田浦の神の住
まいに大彦(おおびこ)なり武甕槌(たけみかづち)なりが同居せ
られたものであるとのことでした。
⑥さて、そのような由来を持つ古四王神であるにもかかわらず、
近年まで氏子には肉食を忌む風習があったとのこと・・・。
⑦そもそも肉食習慣を公言する者の信奉する神であったものが
何故に肉食を忌まれる神に変質しなければならなかったのか
⑧そらくは四天王寺が早い内に消滅したので、氏子にすらその
本質が忘れ去られていったのでしょう。
⑨かと思えば、明治の神仏分離を経た現在の境内案内には逆
に仏教的要素が消滅しており、当然ながら四天王の面影自体
など微塵も見えず、ますますもって肉食が忌まれた理由の根
幹が見えなくなっております。
(恩荷とは蝦夷、蝦夷とは大韃靼人のこと・・・縄文日本人ではないのです!!)
3,古代日本は肉食でなかった
①最近は健康志向で肉食を嫌う人が増えた。
②明治の文明開化で欧米型の肉食を奨励した。
③従来、肉食を嫌がるのは仏教の影響とされていたが、誤りだ
(仏教を伝えた中国、朝鮮は大いに肉食の国である)
④もともと日本が肉食であり、渡来仏教の影響で肉食をやめた
ととすれば、純日本化しようとする儀式では肉食になるはず。
⑤神社のお祭のご神饌のほとんど米、野菜、魚である。
⑥日本人の肉食ぎらいは仏教の影響とは全く関係ない。
(仏教が古代の日本文化を取り入れたもの・・他にもあり)
4,肉を食べなかった理由
①日常の食べ物は、穀物は最高であり、次は鱗がついた魚が
良い、次に鳥だが、鳥は火の要素がまさり、身のエネルギー
を早く燃焼させてしまい、早く死んでしまう。
②あやまって四本足の肉を食べれば、肉は凝って縮み、肥満と
なり、身体のエネルギーが減少して毛も抜ける。そのうち死ん
でしまう。
③肉を食べたら
二ヶ月半カブを食え。」
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